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フロドが何故ホビット庄に戻ってくることができないのか…について、あまりにも非日常の体験をした人の中には、日常に戻って来れない人もいる。
以前にNHKの番組で、リタイア後かつて戦場だったパプアニューギニアに戻り、NGO活動をしている元日本兵のおじいさんの話を見たことがあります。戦後の日本で働き家族をもちながら、ずっと、いずれニューギニアに帰ろうと思っていたそうです。「私の本当の友人たちは、ここに眠っているのです。日本では本当の友人はできなかった」
20才そこそこの頃の、あまりにも強烈な経験が、その方の人生を決め、日本での生活の方が嘘のように感じられるようになってしまった。
「戦艦大和ノ最期」を書かれた吉田満氏が、戦争が終わって日本に帰ってきた時に、周囲の全てがこの世のものではないように感じられた。それに対して近所に住んでいた吉川英治から「畑を耕してごらんなさい。土は応えてくれますよ」と言われたと書いておられました。
この話が頭にあって、私はフロドとサムの件はすんなり納得してしまったのですね。サムには応えてくれる土があったから、戻ってこれたのかもしれない…と思っている。
後に…というか、今回のLOTR映画化で、トールキン教授ご本人が第一次大戦の従軍経験があり友人の多くを失っていることを知り、余計に確信を強めました。
キリストの犠牲の件は全く考えたことがありませんでした。指輪物語ってキリスト教伝播以前のケルト…というイメージがあったから。
もちろんトールキン教授ご自身はキリスト教的おしえや教育を受けてきた筈だから、影響は否定できないけれども、でも指輪物語そのものには、あまりキリスト教的なものはないような気がする。
60年代に指輪物語が若い人たちに圧倒的な支持を得たというのも、ベトナム戦争の体験が影響していたんだろうと思います。戦争体験の有無が、指輪物語の執筆に影響を与えなかったわけはないし、読むほうもそれを感じ取っていたんでしょう。寓意うんぬんの話は別として。
犠牲の話は原作以外の、私が考えていることを含めての話で、まだまとまっていません。印象だけ書いたみたいでわかりにくいですね。私もまだわかってないし(笑)
いまだに残神のこともひっかかっているしね。
いろんな意味での犠牲者の救済について。
でもどうだろう。それは当事者の話じゃないんだよね。
もし自分の身にふりかかったら、ほっといてくれ、というのが正直なところかも。
頭の隅っこにいつまでも置いて考え続けるんでしょう。