私もさっき郵便局の窓口の人があまりに責任逃れ発言をするので、発送をやめて、1時間ドライブしてきました。
あのテレビは、たしかに言い過ぎのところもあるけれど、常識的に、事故にあった直後の運転手を、通常業務につかせたり、テレビを見れば、酒を飲んで浮かれるような状態じゃないっていう空気読めないところが非難されてしまうのだと思います。何もかも自粛せよっというのは、いやだけれど、少なくとも、「うん、そうだよね」っと納得できる、共通の感覚というものが、ないと、おつきあいできないじゃないかしら。たとえば、テレビに出るにしろ、人が死んでいる時に、真っ赤な服を着ないでしょ。
負傷した乗客ならば、テレビにうつる時の服装まで考える精神状態じゃないのね。っとその行間を理解しますが。ネックカラーして、実名で出て来た大学生は、黒いトレーナーを着ていた。それが、普段着で、そういうことまで考えていたかどうかわからないけれど、表情がまだ、普通じゃないけれど、赤い服着てテレビに出ないだけの人なんだっと、なるほどっと思った。
なんで、そういうことをおもったかというと、生き残った車掌さんの奥さんは、真っ赤な服だったですよ。夫が、脱線したんだ。人が死んだんだ。っと話していたんだけれど。
だから、テレビでは、コメンテーターのコメントより、文章の中にある事実とか、
映そうとして、撮影していない、映像とかにこそ、真実があると思っています。
そして、それは、新聞とかの文章ではなくて、百聞は一見にしかずという、映像の力だと思います。
結論:なんでも自粛するのは、何にも考えていないから。
何にも考えなかったから、テレビの映像から、自分が行うべき、行動を考えられなかった。(そして、宴会しにいった)
人の暮らしはかなりの部分、慣性で動いているように、このごろ思います。流れに乗ってるの。生活習慣もそうだし、感情もそう。何かが起こった時に、即座にその流れを断ち切って対応できる人はごくわずかだと思う。悪気は多分どこにもない。それをバッシングする方向に論じることに嫌気がさすんです。おそらくJR西日本の危機管理のレベルはあきれるほど低い。事故を起こしてしまったいろいろな原因もさることながら、事故後の対応のまずさもね。そういうことに同情する気はさらさらないけれど、普通にまじめに働いてる職員達をあそこまで言う必要はないと私は思いました。もっと身近な人が「そういう場合じゃないだろう」と言うべきだとは思いますが。映像の意味は微妙です。車掌の奥さんもカメラの前で話をするという意味をわかってないんじゃないだろうか。夫の責任と、自分の言葉の意味を理解しないで多分話しをしている。服装にかまう余裕はさらにない。考えの浅い人はたくさんいます。彼女らにも悪気はない。被害者の娘さんが母親の死顔について叫んでる映像を使った番組は最低だと思いました。彼女は通常の状態ではない。その言葉が全国に報道される意味を番組制作者は考えるべきだと思いました。そんなこんなが重なって見たくないと思うのかもしれません。それと、あの事故の被害の大きさを誰が背負うべきかとか誰が背負うことができるだろうか、とか考えると結論が私の中ででないんですよね。もちろんJR西日本が負うべきなんだろうけれど、同じ組織に属しているだけで全社員が負うべきだろうか、とか。いや、全社あげて対応すべき問題なんだけれど・・・実際のところどこまで対応するんだろうかとか。こういうときだからこそ、バッシングされないように身を慎むのは当たり前だけれど、それがとっさにできないのも人間だからしょうがないよな、とか。