「・・・・こちらの件は以上です。それから今一つ、楊州ですが、巧国との国境近くでは少なくなったとはいえ妖魔や盗賊に襲われる被害が続いているという報告も入ってきております。各々の里に兵を数名ずつ送り込もうかと、から提案がありましたが如何致しましょう」
「うん、任せる」
「承知致しました」
言いながら浩瀚は陽子の顔色がほんの僅かだが一瞬変わったことに気づいた。

「主上、何か気に掛かることでもおありですか」
「ん、なあ浩瀚。秀蕾って武人聞いたことあるか」
「秀蕾、ですか。いえ、存じませぬがその者が何か?」
「うん、盗賊なんだけど・・・今はどうしてるかわからない。生きているかさえも・・・いや、きっと生きてる。約束したんだから・・・」
陽子は次第に声が小さくなり、最後の方は自分に言い聞かせるように呟いていた。
「・・・とおっしゃいますと?詳しくお聞きしても宜しいですか」
浩瀚は陽子が何を言いたいのか今一つ解せずに、だが陽子の深刻な表情に持っていた書類を書卓に置くと先を促した。
陽子は一つ頷くと窓の外に視線を向け、どこともなく遠くを見つめるように話し始めた。



「実は私が景麒にこちらに連れてこられて巧国を彷徨っていた時のことなんだ。景麒と離れてしまって一人で妖魔や衛士に追われながら逃げている最中、色々な人と出会った。その中の一人が秀蕾だ。偶然出会ったんだけど、その時妖魔が出て一緒に戦ったんだ、それで私の剣の腕を買われて数日間行動を共にした。彼女はその頃盗賊をしていたんだ。と言っても何も好き好んで盗賊になったわけじゃない。慶で偽王軍に抗い追われる身となって巧に逃げざるを得なかったと言っていた。その後慶との国境いにいる仲間と合流するというので私もついて行ったんだ。そこで彼女が慶の禁軍にいたこと、彼女の仲間が共に逃げ出した麾下達だったことを知った。彼女はそこで麾下達と慶の情報収集をしながら巧から偽王の元へ流れてくる金銭物資を阻止していたんだ。」
陽子は一つ一つ記憶を辿りながら説明し、静かに振り返った。

「彼女は私に言ったんだ。『貴方を死なせてはならないのだ』と・・・そして自ら楯となって私を逃がしてくれた。その時約束したんだ、いつか必ず堯天で再会しよう、と・・・」
陽子は目を閉じ、ゆっくりと息を吐くと浩瀚を見た。

「彼女はね、国境近くで私を逃がす時、神仙しか通れないという抜け道を教えてくれたんだ。それに、私は別に堯天へ行く予定もなかったのに、私を堯天まで送り届けることが出来ないとも言っていた。彼女は私が王だと気づいていたのかもしれない。その時は私も必死だったからそんな事考えてる余裕も無かったんだけどね」
記憶を辿りながら陽子は、あの時秀蕾が血痕を残し姿を消したことを思い出していた。

「私は途中で気になって引き返したんだけど、血痕だけが残っていて彼女の姿はどこにもなかった」
言いながら陽子の目にはうっすらと泪が滲んでいた。
浩瀚は陽子がどれだけ壮絶な旅をしてきたかを思い、また秀蕾の事を思うと、複雑な心境だった。



暫しの重い沈黙を破ったのは浩瀚だった。
「そのようなことがあったのですか。では主上は秀蕾殿との約束を果たさねばなりませんね」
「えっ?」
驚いて顔を上げた陽子に浩瀚はやんわりと微笑み心得たように頷いた。
「国政も漸く落ち着いて参りました。僅かですが秀蕾殿を探す程度の人員は確保できましょう。ただし、慶国内に限りますよ、秀蕾殿が慶に戻っていればよいのですが・・・」
「浩瀚、有り難う!」
陽子の表情が俄に明るくなり、次の瞬間浩瀚に抱きついてきた。
途端に無邪気な少女へと変貌する己が主に思わず苦笑してしまう。
「主上、お気持ちはわかりますが慎みを・・・。それに見つかるとは限らないのですよ」
陽子は「すまない」と照れ笑いしながら浩瀚から身を離し、一転して真剣な眼差しを浩瀚に向けた。
「うん、見つかって欲しい、会いたい。やれるだけのことをしたい、それでもし見つからなくても後悔はしない。このまま何もしなければ一生後悔すると思うから」





こうして秀蕾捜索は始まった。
もっとも表向きは妖魔と盗賊に対する警戒態勢ということで里に兵を数名ずつ援軍として送り込む。
兵には極秘に秀蕾に関する情報の収集と、見つけた場合には保護することを言い渡していた。



捜索開始から10日が過ぎようとしていた。

朝議を終え、正殿に戻ろうと長い回廊へ出ようとしていた陽子と浩瀚に声をかけてきたのはだった。
「主上、朗報ですよ。秀蕾の居所がわかるやもしれません」
「本当か!?」
思いもかけず飛び込んできたその報告に陽子と浩瀚は顔を見合わせた。

「はい、先日捕らえた盗賊一味の頭目がどうやら以前に秀蕾の麾下だったと喋っているらしいのです。」
「以前は・・・か。ということは今は一緒じゃないんだな。でも何か知ってるかも知れないな」
そわそわと落ち着かない様子の陽子を見て浩瀚は苦笑し、
「主上、まさかとは思いますが、御自らその者に会おうなどとお考えになっておいでではございませんよね」
浩瀚の遠回しに釘を刺す物言いに陽子は「やっぱりだめか」と小さく溜息をつく。
も困ったように苦笑し、
「まあ、そう急かれませんように。私の麾下がその者の話から秀蕾の行きそうな場所を探しております」
「そうか・・・」
返事をしながらふと陽子の脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。

「東望。。。」
彼はどうしているだろうか、と思わず呟いたそれは巧と慶の国境に向かう途中で別れ、単身街に降りていった秀蕾の麾下の名だった。
「主上?」
浩瀚は不審げに問い、
「主上、なぜその名を?」
は驚き問う。
「え?、まさかその男は東望なのか!?」
「ええ、そうですよ。東望をご存じだったのですね」
「うん、秀蕾の一番の麾下だと言っていた。東望なら秀蕾を見つけられるかもしれない」

それを横で聞いていた浩瀚は漸く二人の会話を把握したようだった。
「なるほど、では間もなく吉報が入るやもしれませんね。そこで主上、一つ提案がございます。」
「提案とは?」
「はい、仮に秀蕾殿が見つかったとして、まともに兵士が赴けば剣を交えるか逃亡を謀られるか、ということになりましょう。」
「それもそうだな、追われている身だから素直に話を聞いてくれるとも思えない、警戒するだろうな。それで、何かいい案があるのか」

そこまで聞いてはなるほど、とにんまりと微笑み、浩瀚をちらと見る。
「主上、秀蕾との交渉にはが適任かと存じますが。浩瀚様、それで宜しいのですね?」
それを聞き、浩瀚は片眉を上げを見やると、
「それを私に聞くな、が決めればよいことだ」
そう言い、やれやれと苦笑する。
「そうだな、なら私も安心して任せられる。浩瀚、を借りるぞ」
「主上までそのようなことを・・・」
珍しく浩瀚の困惑した顔を見て、は思わず吹き出してしまった。

は浩瀚がまだ麦州を治めていた頃に行き倒れているところを浩瀚に拾われ、そのまま浩瀚、らと共に金波宮へと昇った。
現在はの麾下として禁軍に在籍しており、浩瀚と共に冢宰邸に住んでいる。

「ところで、もし秀蕾が見つかったら彼女と彼女の麾下を禁軍に呼び戻すことは可能だろうか」
「そうですね、優秀な人材は欲しいですね。それに兵の数もまだまだ不足しております。そのことで盗賊も減るとなれば正に一石二鳥ですしね。ですが主上、それは秀蕾が見つかってから考えれば宜しいかと」
「そうだな、わかった」



−−−その日の夜の冢宰邸−−−

「将軍からお話がありました。明日から楊州へ行ってくるわね」
牀榻で浩瀚の腕枕に身を委ねながら、は改めて出かける旨を告げた。
浩瀚はうむ、と頷く。
「秀蕾殿、見つかると良いわね。私に務まるかしら。。。」
「お前ならば大丈夫だ。それに秀蕾殿はなかなか聡いようだから、きっと主上のお気持ちを酌んでくれるだろう」
「そうね、わかってくださるわよね」



翌朝、は陽子に出立を報せると楊州へと向かった。

が楊州へ到着し、2日後のこと。
州府の一室を借り受け、地図を広げ兵達と策を講じていた。

そこへ一人の兵が入ってきて、秀蕾が見つかったと報せてきた。
やはりまだ盗賊をしているらしい、となると迂闊に兵が近づけば逃げてしまうだろう。
は甲冑から袍に着替えた、その方が相手も安心するだろうと思ったからだ。
万が一の時ために太刀を手にすると、兵2名を連れて秀蕾の元へと急いだ。

目的の根城から少し離れた場所で騎獣から降り、見張っていた兵と合流する。
粗末な天幕が数個、かなりの人数がいるらしい、遠目にも20名以上は確認できた。
一通り様子を窺うとは兵達にその場に留まるように言う。
「大丈夫、貴方達は姿を見せない方がいい。もし中が騒がしくなったら、その時は頼む」
そう言うと、側にいた兵に太刀を渡した。
兵達が困惑し引き留めるのを無視して、は一人盗賊の根城へと歩き出した。



入り口付近まで近づくと見張り役と思しき数名がを取り囲んだ。
「何だお前、何か用か」
「ここがどこか承知の上で来たのか」
「身でも売ろうというのか」
柄の悪い男達が次々と言い寄ってくる。

は男達を刺激しないよう、静かに答えた。
「こちらに秀蕾殿はおいでだろうか」
「なにっ?こいつ頭の名前を知ってやがる。お前何者だ。妙に落ち着いてやがるのが怪しいな」
「こいつ頭を捕らえに来たんじゃないのか、捕まえろ!」

男達に羽交い締めにされたまま奥へと連れてこられると、周りの者達も何事かと集まってきた。
「一体何を騒いでいるのだ」
言いながら近づいてきたのは、左目に眼帯をした銀髪の女性−−盗賊頭、秀蕾−−だった。
「頭、怪しい女を捕らえました」
と男が言う。
秀蕾はをちらと見たが、興味なさげに、
「衛士や兵というわけでもなさそうだ。育ちの良さそうな娘だな。お前達に任せる、好きなようにしろ」
と言い捨て、くるりと踵を返し立ち去ろうとした。

「お待ちください」
は慌てる風もなく静かに、だが凛とした声音で呼び止めた。
その声に秀蕾の足が止まり振り返る。
「何だ、命乞いなら聞かないぞ。それとも家の者に金でも持って来させるか?」
脅すように睨みつけてくるが、は全く動じず秀蕾の瞳を真っ直ぐ見ながら静かに言う。
「陽子、という名に覚えがございますか。私がその陽子から言伝を頼まれたと言えば話を聞いてくださいますか」

その言葉に秀蕾は瞠目し暫し考えていたが、やがて「わかった」と言い、男達に手を離すように命じた。
「手を離してやれ、お前達は下がっていいぞ」
を取り囲んでいた男達はそそくさとその場を後にする。
秀蕾は最奥の己の天幕へを連れて行き、何の躊躇もなく床に腰を下ろす。
「さて、その言伝とやらを伺おうか」

改めては秀蕾の前に片膝をつき拱手をした。
「秀蕾殿でいらっしゃいますね。小官は慶東国禁軍に籍を頂いております、と申します。我が主上が是非とも貴方様にお会いしたいとのこと、御同行願えますでしょうか」

「ちょっと待ってくれ、何を言っている。どういうことだ」
驚き立ち上がり、動揺する秀蕾に、はにこりと微笑み、
「貴方は主上の命の恩人だと伺っております。主上は貴方に案内された抜け道で一度引き返したそうです。ですが貴方の姿はなく、血痕だけが残されていたと・・・別れ際に堯天での再会を約束されたそうですね。貴方の安否をひどく気に掛けておいででした。主上は貴方との約束を果たしたいと強く願っておられます。お聞き届け頂けますでしょうか」

禁軍の武人が一介の盗賊ごときに敬語で話しかけてくる、何ともおかしなことだ。
秀蕾はが単身でこの場に乗り込んできたこと、武人であるのにそれを悟らせぬよう気遣い、傲りを少しも感じさせないその真摯な態度に心を打たれた。

「陽子は良い王になったのだな、慶は変わった。主上がそうおっしゃるのなら、聞き届けないわけにはいかないだろう。たとえそれで捕まることになろうとも・・・」
秀蕾は正念場だと感じていた。
陽子との再会で、約束を果たすことによって自分は変われるかも知れない。
捕まってもいいと思った。
或いは街で何か仕事を見つけ、細々と真っ当な人生を送るのも悪くないという気がしていた。



翌日、秀蕾はと共に堯天へと向かった。
簡単に身なりを整え、そのまま金波宮を目指し、到着すると外殿の一室に通された。
が自らお茶を入れる。
女御が少ないのだろうか、それともの心遣いなのだろうか。
そんなことを考えていると、間もなく扉が開いた。

が礼をとるのを見て、秀蕾も立ち上がりそれに倣う。
男物の袍を着た陽子が入室し、その後ろから浩瀚、が続いた。

、ご苦労だったな、有り難う」
陽子が労うと、はにっこりと笑んだ。
「いえ、お役に立てて光栄です」
仮にも王が一兵に礼の言葉をかけるなど・・・気安く遣り取りする二人を見て秀蕾は驚きを隠せなかった。

陽子は秀蕾を真っ直ぐに見つめ、次の瞬間ぺこりと頭を下げた。
「秀蕾、有り難う。貴方が助けてくれなかったら今の私は無かっただろう。心から感謝している」
いきなり王に頭を下げられ、動揺を露わにしている秀蕾を見て、は思わず吹き出してしまった。
「主上、秀蕾殿が驚いておいでですよ。お掛けになっては如何です?」
そう言いながらてきぱきとお茶を入れる。
「ああ、そうだな。座ってゆっくりと話を聞こうか。あ、秀蕾、こちらが冢宰の浩瀚、そして禁軍左軍将軍のだ」
冢宰と将軍という言葉に秀蕾に緊張が走ったが、「ほら、座って」と横から陽子に腕を引っ張られ戸惑いながらも椅子に腰掛ける。

「よかった、無事だったんだな。元気そうで安心した。気にはなっていたんだけど、朝廷が落ち着かなくってね。やっと約束を果たせた、遅くなって済まなかった。」
「いえ、そんな・・・よう、主上が私の事を覚えていてくださったなんて驚きました」
「陽子でいいよ、みんなもそう呼んでる」
陽子はくすっと笑いながら言う。
「秀蕾達が巧からの援助を止めてくれてなかったら、景麒奪還にかなりの苦戦を強いられただろうな。」
二人は、当時別れてからの決して楽しくはない思い出話に暫し没頭した。

一通り話が終わると、頃合いを見計り横に控えていた浩瀚が秀蕾に問う。
「秀蕾殿、お聞きしても宜しいか」
浩瀚が言うと、秀蕾は首を傾げながら「はい」と答えた。
「秀蕾殿は主上が慶国の新王であると気づいておられたようですね」
それに陽子も同調する。
「うん、私もそれを知りたい。気づいていたのか?」

秀蕾はこくりと頷き、話し始めた。

「貴方と行動を共にした数日間で確信を持ちました。まず貴方が持っていた太刀、そのような逸物を海客である貴方が、いえ私のような武人でも容易に手に出来るものではない。私もかつては禁軍に籍を頂いていた身、実際に目にしたことはありませんでしたが、それが水禺刀ではないかと・・・。貴方は夜中に誰かと言い合いをしているようでした、あれは幻を見ていたのではないですか?それに貴方の太刀さばきは見事なものでした。まるで賓満がついているようだと私の麾下が言った時、貴方は『どうしてわかった!?』という顔をなさっていました。海客でこちらに来て間もない貴方が賓満の存在を知っていること自体不思議だし、あの太刀さばきの見事さは貴方自身だけの動きではない不自然さを感じました。そして貴方がおっしゃった”ケイキ”という名、最初こそわかりませんでしたが、それが景台輔であるということ。そう考えると全ての辻褄が合う、そう確信した私は貴方をあの抜け道へとお連れしたのです。案の定貴方は入ることが出来た、神仙しか通れないあの道に・・・」


秀蕾の話に、陽子とは「流石だな・・・」と感嘆し、浩瀚とは「なるほど・・・」と納得した。

陽子は浩瀚とを見ると「どう思う?」と問う。
二人は各々頷き、「大した洞察力です、宜しいでしょう」と浩瀚が返すと、も「ええ、私も異存はございません。剣の腕は確かめるまでもないでしょう」と答えた。

秀蕾は何事か解せずにいると、陽子は秀蕾に向き直り言った。
「ということで、二人の承諾も得た。秀蕾、禁軍に戻る気はないか?」
「っ!? 何をおっしゃいます、私など・・・」
言葉に詰まっている秀蕾に陽子は続ける。
「突然の事で驚くのも無理はない。しかし王宮には優秀な人材がまだまだ少ない。力を貸して欲しい」
陽子の真剣な眼差しに秀蕾は感極まり、床に平伏せた。
「私如きでも主上のお役に立てるとおっしゃるのでしたら、謹んでお受け致します」

「良かった、有り難う。秀蕾ならそう言ってくれると信じていた」
陽子はそう言いながら秀蕾の側に行き「頭を上げてくれ」と促した。

「ああ、そうだ。東望と貴方の麾下も共に招き入れたい。人選は任せる、了解してくれるね?」
そう告げられ、秀蕾は再び平伏した。
「身に余る光栄にございます・・・」
震える唇からやっとの思いで言葉を絞り出したが、それ以上言葉に出来ず、平伏した秀蕾の瞳から滴が床に落ちた。




さあ台輔、戻りましょう