マクラーレンM23
McLaren M23
*マクラーレンを超一流に変えたマシン:マクラーレンM23*
-* McLaren M23 *-
(E・フィッティパルディ モデル)
マクラーレンチームの歴史は非常に古く、1963年に設立されました。F1にデビューしたのは1966年でした(B・マクラーレン自身は、それ以前からクーパーで活躍していましたが)。しかし、活躍はするのですが、なかなかチャンピオンマシンになれませんでした。そんななか、1973年、M23が南アフリカGPにデビューしました。
前年までのM19は、コークボトルタイプのボデーが特徴の美しいマシンでした。M23はロータスの影響を強く受け、サイドラジエター、ウェッジタイプのノーズ、角張ったボデーへと変わりました。デザイナーはゴードン・コパックで、彼はどちらかというと革新的な設計をするより、堅実な設計を得意とするタイプでした。彼は、このレイアウトもインディカーで経験済みのものでした。
サスペンションはフロントはベラミー式リンクのプログレッシブサスペンション、リヤは不等ピッチコイルによるプログレッシブサスペンションと、特異なものでしたが、これさえもM19から引き継いだ実績のあるものでした。
ホイールベースは2565mmで2387.6mmのブラバムより177mmも長いものでした。俊敏性より安定性を重視した設計で、どのコースを走っても、誰が乗ってもそれなりの結果を残せるバランスの良いマシンに仕上がっていました。
デビューの年、新鋭ピーター・レブソンが5位、ベテランのデニス・フルムが6位とまずまずの成績を収めたマクラーレンは、翌年、72年のチャンピオン、E・フィッティパルディを得て臨みました。
この年のF1は、まれに見る激戦で、当時世界一速い男といわれたR・ピータソン(ロータス)、J・スチュワートの後を継いだティレルのJ・シェクター、フェラーリに乗る売り出し中のニキ・ラウダ、ブラバムのC・ロイテマンなどが活躍するなか、最後はフェラーリのC・レガッツォーニとのポイント争いに競り勝ち、チャンピオンを最終戦で決めました。
75年からは、フロントサスをロッキングアームに変更し、また、ホイールベースを80mm延長し2647mmとし,さらなるロングホイールベースへと進みました。フロントウイングが大型化され、リヤウイングも厚みを増し、迎角も大きくなっていました。それらによるダウンフォースの増大のため、フラットなサス設定の方がセットアップが容易だったのでしょう。この年は、フィッティパルディがランキング2位にはいってます。
76年には、さらにホイールベースが伸ばされ、2717.8mmとブラバムより254mmも長くなりました。この年、J・ハントを擁したマクラーレンは、フェラーリのニキ・ラウダとのマッチレースの末、M23に二度目のチャンピオンをもたらせました。(ラウダに、ドイツGPでの事故がなければ、間違いなくラウダがチャンピオンだったでしょうが。)
マクラーレンはこのM23によって誰もが認める超一流のチームとなったと言えるもではないでしょうか。
77年、マクラーレンはM26をJ・ハントに与えましたが、No.2ドライバーのJ・マスのドライブにより、M23はフランスGPまで活躍しました。
-* McLaren M23 *-
(テスト風景、より後方に、低くセットされたリヤウイング)
重量 | 575〜601.6kg |
ホイールベース | 2565〜2717.8mm |
トレッド(フロント) | 1663〜1631mm |
トレッド(リア) | 1587〜1676mm |
ホイール(フロント) | 13x10〜11 |
ホイール(リア) | 13x16〜18 |
エンジン | フォード・コスワースDFV |
エンジン型式 | 90°V型8気筒 |
バルブ型式 | DOHC 4バルブ |
総排気量 | 2993cc |
ボアxストローク | 85.6x64.8mm |
圧縮比 | 11.1 |
点火装置 | ルーカス |
燃料供給装置 | ルーカス間接噴射 |
最高出力 | 450〜495PS |
ギア・ボックス | ヒューランドFG400、FG400/6 |
ブレーキ | ロッキード |