ティレル005/006
Tyrrell 005/006
*J・スチュワート引退の花道を飾ったマシン:ティレル006*
-* Tyrrell 006 *-
(J・スチュワート)
1973年、GP優勝27回と三度目のF1チャンピオンを決めたJ・スチュワートは、この年限りで引退しました。彼が、最後に乗ったマシンがティレル006です。
(Driver is P.Depailler)
このマシンは72年7月に005としてデビューしました。それまでのティレル(タイレル)はスポーツカーノーズと丸みのある曲線が特徴でしたが、そのスタイルは一気に角張ったものとなりました。フロントのスポーツカーノーズは、サスペションを覆うぎりぎりまで薄くされ、両サイドのタイヤの部分が持ち上げられたもとなり、角度をもったボデー上面はフラットにリアウイングの下までエンジンを覆うように伸ばされました。コクピット両サイドには、空気が上方に逃げないようフィンが設けられました。ボデー全体でダウンフォースを得ることと、リアウイングに効率的に空気を送るようにデザインされていました。
ボデー両サイドにはまるでラジエターのインテークのようなダクトが設けられていましたが、これはオイルクーラーのためのもので、ラジエターはフロントスポーツカーノーズの中に収められていました。
フロントブレーキはロータス同様、インボードタイプとなり、ノーズカウル上面にはブレーキを冷却したエアを排出するダクトが切られていました。ティレル(タイレル)のチーフデザイナーであったデレック・ガードナーも、ロータスのモーリス・フィリップ同様、4輪駆動F1(マトラ・フォードF1)の開発経験者であったことは、興味あるところです。
その後、ラジエターをサイドに持っていき、フロントをオイルクーラーにしたモデルが作られ、それが、006とされました。この、006という番号は、このときまで6台のマシンが作られたこと意味する製造番号です。70〜71年を戦ったマシンが4台、72〜73を戦うマシンとして作られた2台のマシンが005、006です。005は後にサイドラジエターへと改造され、006Tとされ、この時から番号が型式を意味するものとなり、こんにちに至ってます。
ホイールベースはフライング・スコット2世と言われたJ・スチュワートのドライビングテクニックを最大限に生かす為、2400mm前後のショートホイールベースでした。当時のロータスやマクラーレンに比べて150mmほど短いものでした。ボデーとエンジンの間に100mmのスペーサーを挿入したロングホイールベース車もテストされましたが良い結果は得られなかったようです。
彼は、ブレーキの壊れたマシンを、ホームストレートの観客の目の前で、280km/hのスピードからスピンさせ止めた、というほどのテクニックを持っていたといわれます。彼には、コーナリングの安定したマシン(ロングホイールベース車)より、機敏なマシン(ショートホイールベース車)の方が合っていたようです。
J・スチュワートはこのマシンを乗りこなし、前年(72年)、E・フィッティパルディに奪われたドライバーズチャンピオンの座を、この車で取り戻しました。3度目のドライバーズチャンピオン、27回のGP優勝(当時、F1至上最多優勝)という栄光と、アメリカGPで相棒(ティレルNo.2ドライバー)のF・セベールを事故で失うという悲劇と共に、この年、引退しました。
-* Tyrrell 005 *-
(デビュー時)
エンジン型式 | 90°V型12気筒 | ホイールベース | 2510mm |
内径x行程 | 78x52.2mm | トレッド(フロント) | 1550mm |
総排気量 | 2992cc | トレッド(リア) | 1486mm |
点火方式 | ホンダ式トランジスター点火 | 全長 | 3955mm |
圧縮比 | 10.5 | 全高 | 845mm |
潤滑方式 | ドライサンプ | 全幅 | 1688mm |
クラッチ型式 | 乾式多板 | 最低地上高 | 90mm |
バルブ型式 | DOHC 4バルブ | ボデー型式 | モノコック |
燃料供給装置 | ホンダ式低圧吸入管噴射式 | タイヤ(前) | 9.20-15(グッドイヤー) |
燃料ポンプ | 電動式 | タイヤ(後) | 11.50-15(グッドイヤー) |
冷却方式 | 水冷 | 燃料タンク | 240L |
変速機 | 常時噛合前進5段後進1段 | ブレーキ方式 | ディスクブレーキ(ガーリング) |
最高出力 | 400PS以上 | 懸架方式 | ダブルウィッシュボーン |
最高速度 | 350km/h以上 | 車輌重量 | 740kg |
エンジン重量(乾燥) | ---kg |