マトラMS670
Matra MS670
*自国ル・マンを制したフランスの雄:マトラMS670*
-* Matra MS670 *-
('74仕様)
1972年、マトラMS670はル・マンで優勝することができました。それは、フランスのメーカーであるマトラにとっては、喜ばしいことでした。が、この年のル・マンには、フェラーリが出走していませんでした。フェラーリは、72年のメーカー選手権11戦中、出走を取り止めたル・マンを除き、他の10戦すべてに優勝していました。そのフェラーリが出走していないル・マンで勝っても、マトラは、もろ手を上げて喜ぶことはできなかったでしょう。それどころか、屈辱的でさえあったのかもしれません。
翌年、マトラは、F1への参戦を取り止め、メーカー選手権1本に絞ってきました。もともと優れた操作性を示していたシャシに、開発をスポーツカー1本に絞ったV12エンジン。パワーはF1並みの485ps(公称470ps)を絞出していたといわれます。フェラーリの水平対抗12より20psほどのアドバンテージを持っていたようです。
スタイルはフランス車独特の雰囲気を持っていました。ダルなノーズ、丸みのあるボデーにブルーを基調にしたカラーリング。アルピーヌ・ルノー(F2,2Lスポーツカー)や、チョット後になりますがリジェF1と同じような独特の雰囲気を醸し出した、美しいマシンでした。ラジエターは、ダルなノーズの中に収められたフロントラジエタータイプでした。
ル・マン仕様では、当然のように耐久性をねらって、450ps、32kgm/8400rpmと抑えられたエンジンが与えられました。そして、H.ペスカロロ、G.ラルース組の操るMS670が、72年に引き続き連続優勝をし、昨年の屈辱を晴らしました。
73年は、ル・マンでの優勝を含め10戦中5勝。最終戦、終盤、フェラーリに追い上げられはしましたが、H.ペスカロロ、G.ラルース組が逃げ切り、トータル124点をあげ、115点のフェラーリを退けました。
74年、信頼性を増したV12エンジンはシリンダヘッドに改良を加えられ公称490ps/11200rpmにアップし、また、ギヤボックスはヒューランドFG300から新開発のヒューランドTL200に変えられました。そのマシンが、MS670Cと呼ばれ、また、ル・マンなどの長距離レースには、ポルシェ製のギアボックスも使われ、MS670Bと呼ばれました。
スタイルは、ノーズのラジエターへの空気取り入れ口が角張ったものになり、エンジンへのエアインジェクションボックスが背の高いものに変わったくらいでしたが、フロントカウルが分割式になり、不慮の事故にもカウル交換を容易にする工夫が盛り込まれていました。また、ジタンがスポンサーになり、踊る婦人像がカウルに描かれ、フランスの粋を感じさせました。
また、ラジエターをサイドに持っていったMS680も作られ、ル・マンに姿を見せましたが、スピードがのらず、使われませんでした。見た目にも、MS670の美しさとはほど遠く、『美しいマシンは速い』を感じたものでした。
74年は、フェラーリが不参加だったこともあり、ル・マンでの3連勝目を含め10戦中9勝、オープニングのモンツァ1000kmで優勝をアルファ・ロメオ33TT12に譲ったのみでした。ほぼ完全な形でメーカー選手権を制したマトラは、翌年、F1に復帰することになります。
-* Matra MS670 *-
('73仕様)
ホイールベース | 2550mm(ル・マン仕様は2558mm) |
トレッド(フロント) | 1525mm |
トレッド(リヤ) | 1500mm |
総重量 | 675kg |
エンジン | マトラ製 |
エンジン型式 | 60度V型12気筒 |
バルブ型式 | DOHC 4バルブ |
総排気量 | 2993cc |
ボアxストローク | 79.7x50.0mm |
圧縮比 | 11.0 |
出力 | 450〜490PS |
燃料供給装置 | ルーカス間接噴射 |
点火装置 | ルーカス |
エンジン重量 | 159.4kg |
ギヤボックス | ZF製5速、ヒューランドFG300、TL200、ポルシェ製 |
ブレーキ | ガーリング |