ロータス72
LOTUS 72
*6年間もF1を駆け抜けたマシン・ロータス72*
-* Lotus 72E *-
1970年4月スペインGPに1台のマシンがデビューしました。これほど革新的な技術を盛り込んだマシンでありながら、デビューウィンを飾ると共に、この年、いきなりチャンピオンマシンになってしまいました。
デビュー時のロータス72
そのスタイルは完全なウェッジシェイプを成形していました。それは、ラジエターをボデーサイドにもっていくことから始まりました。当時のスタイルはフォーミュラーカーが葉巻型といわれた形状から抜け出せないものが多かった中で異色のものでした。ノーズは、そこにあるはずのラジエターがなく、あくまで薄く、その先端からボデー後端にかけてまっすぐつながってました。ボデー全体でダウンフォースを得ようという考えです。
そして、サスぺションは4輪ともコイルスプリングではなく、トーションバーを使用していました。プルロッドにより、ボデー下側に配置したカンチレバーを引き上げ、トーションバーをねじるという構造で、プログレッシブ特性を持たせたものでした。
トーションバーも一工夫されたもので、パイプ状のトーションバーの中にもう一本トーションバーを通すという凝った作りで、長さを抑えていました。この、サスペション形式により低重心、マスの集中によるロールモーメントの減少、サイドに持っていったラジエターへの通風を確保していたのです。
ブレーキは4輪ともインボードタイプ。これは、ブレーキをドライブシャフトを介し、ボデー側に持ってきたもので、バネ下重量の軽減とマスの集中によるロールモーメントの減少を目的としたものでした。バネ下重量の軽減は、操縦性に関して、ボデー全体の重量軽減の数倍の効果があります。4輪すべてからドライブシャフトが出ている様は、あたかも4輪駆動車のようでした。(実際、ロータスは、このマシンの前に、4輪駆動のF1を開発していました。)
-* Lotus 72B *-
(ヨッヘン・リント)
このマシンは、デビュー1年目にして、いきなり、ヨッヘン・リントをドライバーズチャンピオンにしました。何よりも、驚きは、6年間もF1を走り続けたことです。今と時代は違いますが、当時でも、F1マシンの寿命は2年。1年目が熟成、そして2年目にチャンピオンを狙うのが開発の基本でした。デビュー後、次々と改良が重ねられ、6年間もF1を走り続けたのは、驚異以外のなにものでもありませんでした。このマシンのコンセプトがいかに時代を先取りしていたかが解ります。72年にはこのマシンでエマーソン・フィッティパルディがドライバーズチャンピオンに。73年はドライバーズチャンピオンこそ逃しましたがマニファクチャーズチャンピオンに。74年は3回の優勝。ロニー・ピーターソンが乗り、『世界一速い男』といわれたが、チャンピオンは逃してしまいました。さすがに6年目にあたる75年は、優勝こそありませんでしたが、2位1回、4位1回、5位2回を記録しています。
-* Lotus 72D vs Tyrrell 005 *-
(E・フィッティパルディー vs J・スチュワート)
重量 | 551kg |
ホイールベース | 2540mm |
トレッド(フロント) | 1473mm |
トレッド(リア) | 1575mm |
ホイール(フロント) | 13x10or13x11 |
ホイール(リア) | 13x17、18、19 |
エンジン | フォード・コスワースDFV |
エンジン型式 | 90°V型8気筒 |
バルブ型式 | DOHC 4バルブ |
総排気量 | 2993cc |
ボアxストローク | 85.6x64.8mm |
圧縮比 | 11.1 |
点火装置 | ルーカス |
燃料供給装置 | ルーカス間接噴射 |
最高出力 | 430〜485PS |
ギア・ボックス | ヒューランドFG400 |
ブレーキ | ガーリング |