懐かしのレーシングカー:My Dear Old Racing Cars

コルトF2000(コルトF2D)

COLT F2000(COLT F2D)

*世界に先駆けた空力コンセプト・コルトF2000*

COLT F2000
-* COLT F2000 *-
('71日本GP)


 1971年の日本グランプリを制したマシンが永松選手の乗るコルトF2000です。2位には益子選手の乗るコルト、6位に風戸選手の1600コルト(1600クラス1位)と、この年、三菱勢は大活躍をしました。

 フレームは、ブラバムのそれを、三菱でモディファイしたと思われる、4本の鋼管をメインにし、多くのブレーシング・パイプを持ったスペースフレーム。サスペションは、フロントがワイドAアームのダブルウィッシュボーン、リアがアッパーIアーム、ロアAアームの4リンクタイプ。スプリング・ダンパーは4輪ともアウトボードと、当時の2リットルクラスのフォーミュラーカーの標準的なものでした。

 ボデーシェイプはウェッジを基本にし、ラジエターはロータス72同様、ボデーサイドに置かれました。ロータス72と同じ年、1970年に、西洋の島国・イングランドと東洋の島国・日本で同様のコンセプトの車がデビューしたことは、たんなる偶然でしょうか。

COLT F2000
Lockheed P51
ロッキードP51ムスタングのエアスクープ

 見るべきは、その、空力処理でした。飛行機メーカーでもある三菱らしく、細部にわたり凝った作りをしていました(当時、三菱自動車は、まだ、完全に重工から独立していませんでした。)。ラジエターを覆うカウルは空気取入れ部が翼断面形状に成形され、ラジエター部に行くにしたがって空気通風部が広がるようになっていました。流速の速い空気をラジエター部までに減速し、圧力を増してラジエターを通過させようというものです。レシプロ航空エンジンのラジエター部が、そうであったように、通風抵抗を抑える工夫がされていたのです。

COLT F2000  カウルは、ノーズからコクピットまで一体のカウルで、つなぎ目を無くし、また、エンジン部もカウルで覆われ、ミッション上に置かれたオイルクーラーも、ラジエター同様の空力処理がされたカウルで覆われていました。各カウルのつなぎ目は、単なる重ね合せではなく、下になる部分にせぎりを付け、表面をスムーズにし、カウルを止めるファスナーには、ズーツ(DZUZ)ファスナーという表面が突出しない航空機用ファスナーが使われていました。91年に追加されたリアウイングも、飛行機のそれのように、両端に3次曲面の丸みのあるエンドキャップが付けられるという、手の込んだものでした。

 エンジンは”サターン”R39B型、当時のコスワースFVC1890cc、ワゴット1990ccに対抗する為、1598ccのR39型を1994ccにスケールアップしたもので280PS、24.0kgmを発生していました。

 ロータスと同じコンセプトを持ったマシンでしたが、サスペンションが4輪ともアウトボードだったり、フレームがスチール・スペース・フレームだったり、古い作りの部分を多く持ったマシンでしたが、記憶に残るマシンであることは確かです。

 71年、日本GP、松永コルトはスタートからトップに立ち、一度もトップの座を譲ることなく、益子コルトは生沢選手の乗るロータス69、マック・スチュワート選手のミルドレン・ワゴットとのデッドヒートの末、1・2フィニッシュでチェッカーを受けました。

COLT F2000
-* COLT F2000 *-
(ストリップ状態)


全長3800mm圧縮比12.5
ホイールベース2300mm最高出力280PS/9000rpm
トレッド(フロント)1480mm最大トルク24.0kgm/7200rpm
トレッド(リヤ)1480mmカムシャフト駆動方式ギヤ・トレイン
総重量470kgバルブ傾斜角吸気側20°排気側21°
タイヤ(フロント)4.80/10.20-13バルブ直径/リフト吸気35.5/11mm
タイヤ(リヤ)5.90/13.80-13 排気31.0/11mm
ホイール(フロント)10Jx13バルブ・タイミング吸気開・上死点前52°
ホイール(リヤ)14Jx13 吸気閉・下死点後80°
フレーム形式スペース・フレーム 排気開・上死点前80°
燃料タンク容量120L 排気開・下死点後52°
ギアボックスヒューランド・F2000点火時期32°/7200rpm一定
ブレーキガーリング点火プラグNGK・D12
エンジンサターンR39B型オイル容量7L
エンジン型式直4・DOHC4バルブ冷却水容量5L
総排気量1994ccエンジン寸法735x676x590mm
行程x内経92x75mmエンジン乾燥重量125kg