31里10町57間を歩く
| 氏家〜やいた |
中街道は、この市道を20mほど進んだ所で右折をする。ここからが乙畑宿で、問屋を勤めた永井家は歩いて100m位の距離にある。 国道と宇都宮線の間に挟まれたこの地区は、掘割もそっくり残されており、大変貴重な地区だ。更に西側の尾根は、高原山塊の最南端で遺跡の宝庫でもある。この集落を抜けた所で踏み切りを渡る。間もなく左手に一里塚跡の標柱が立っている。江戸から34里とあるが、これは今回の調査で33里であることが解った。この付近は「太鼓塚」と呼ばれているが、この太鼓塚そのものが一里塚であったのかは不明である。またこの先には数体の石仏が立っており、その中の一体の台座には「右安澤」とあり、追分になっていたようだ。一銭橋という小さな橋を渡る。この辺一帯は主要地方道路の建設中で、大きな橋脚が何本も架けられている。これを過ぎると、つつじケ丘ニュータウンに入る。 このほぼど真ん中を進み、3階建ての市営住宅の西側に出る。ここから県道塩谷・喜連川線までほぼ一直線に広域道路が走り抜けている。旧道は、この道路の左手を市道大槻線まで辿ることが出来る。更にその先の雑木林の中にも一部残されているが、ここはひどい藪でお勧めは出来ない。 途中から右手の市道に下りる。右下に見えるのは県営住宅である。更に進むと、左手に最近完成したばかりの「たけのこ園」と「デイサービスセンター」が立っている。県道を横断すると、頭上を新幹線が走っている。住宅の間の細い道に入る。車1台がやっと通り抜けられる位の道だ。しかし、これこそが中街道そのものである。エンプラスや日本調理器といった工場が進出したり、矢板インターチェンジが建設された中でよくも残されたものだと思う。通岡の公民館前を過ぎ、インターチェンジの入り口で県道に出る。 途中から右手の市道に下りる。右下に見えるのは県営住宅である。更に進むと、左手に最近完成したばかりの「たけのこ園」と「デイサービスセンター」が立っている。県道を横断すると、頭上を新幹線が走っている。住宅の間の細い道に入る。車1台がやっと通り抜けられる位の道だ。しかし、これこそが中街道そのものである。エンプラスや日本調理器といった工場が進出したり、矢板インターチェンジが建設された中で、よくも残されたものだと思う。通岡の公民館前を過ぎ、インターチェンジの入り口で県道に出る。 |