内科での診療のあと、外科へ回される。「ここは痛いですか?」「はい」「立って歩くと痛いですか?」「ええ…… 早く歩くと攣れる感じがします」……「虫垂炎ですね。腹膜に癒着している可能性もあります。手術をお勧めします。今、三時半? ……四時までに用意をして戻って来てください。五時から手術します」
用意して戻れったって家には私しかいない。三十分で往復して荷物を用意しろとな。手術とな。あまりの早い展開に呆然となる。五時より各検査のあと手術。「麻酔が効くようにする」筋肉注射が痛い。
脊椎に麻酔を打たれ、胃から下の感覚がなくなる。気分が悪い。
「やっぱり手術はいやです」「気持ち悪いです」「眠らせてください」「息苦しい」(酸素マスクを被せられて)「やっぱり取ってくれ」……うるさい患者だ。
気がつくとすでに腹は開かれていた。ずいぶん経ったような気がしたので、「すいません、まだ終わらないんですか?」まったく、うるさい患者だ。またしばらくすると腹の皮を引っ張られるような気がして、縫っていることがわかった。「終わりましたよ」やっと看護婦の声がした。
手術前に駆けつけてくれたダンナが説明を受けたところによると、虫垂炎はだいぶ慢性化していたようだ。腹膜に癒着もしていたのでかなり普通より手術時間も長かったらしい。「一時間くらい」と告げられていたのが、実は二時間以上かかっていた、と私が知ったのは後のことだったけれど。
その夜、身動きしてはいけない、というのでとても体勢が苦しい。痛みで眠れないので何度も看護婦を呼ぶが「まだ鎮静剤が切れてないから打てないの」
終わってもうるさい患者だ。だいたい、手術後眠ろうという方が虫が良すぎるんじゃないか?
尿がたまっている感じがあるが、動けないのでトイレに行けない。看護婦を呼ぶと、体の下に尿器をあて、そこにしてくれ、と言う。努力するも、「おとなの常識」が邪魔をしてどうしても寝たまま尿が出ない。やむを得ず、尿管に管を入れ尿を出す、いわゆる「導尿」をしてもらう。点滴のせいか、一晩に三度もしてもらわなければならなかった。麻酔のせいか、導尿をしてもらってもあまりすっきりした感じがしない。
一日中絶食が続く。これで痩せるといいのだけど。昼ごろ無事ガスがでる。
となりのベッドのおばさんに挨拶される。無理矢理笑顔を作って応対する(この辺が私の調子のいいところなんだ、とつくづく思う)と、「今年、初詣とか行きました?」と、いきなり。
うーん、そういえば行ってない。本厄なのになあ、だからこんな目に遭ったのか、退院したら厄払いに行こう、などと考えつつ、「あ、行ってないです」と答えると、「そう、それならよかった。ああいうのも、あまり、ね……」と、意外な返事。適当に相づちを打っていると「自分の知り合いの人が、神官になろうと資格をとり、伊勢神宮に入ったけれど、あそこでは一年に何人か死ぬ人がいて、その人は『神道では人は救われない』と絶望して……」そりゃあ、どこの組織だって死ぬ人はいるだろうさ、あれだけ組織がでかけりゃあねえ、と思っていると「で、この本、とてもいいから読んで欲しいの」
見ると、『真実(ほんとう)の宗教がわかる本』。でたあっ! そのために私と話してたのか! ……と悟るも、時すでに遅し。「わ、私、そういうことに興味ないので」「興味のないとかあるとかに関係なく、読んで欲しいの。これには分かりやすく(以下宗教の説法が続くので省略)だから」と無理矢理本を押し付けられる。普段ならすぐに断る私も、術後二日目ではそこまでの気力がなく、隣のベッドでは逃げ場もないのであった。ちなみに宗教は法華宗、であった。と思う。
一日中点滴が続き、トイレに行くにも点滴棒と共に歩かなければならないので、すでに友達気分である。そこで、彼に名前をつけてみた。「Krankenfutter」ドイツ語で「患者のえさ」という意味。
少しずつ身動きが取れるようになってきたので、まわりの状況が把握できるようになってきた。私が入っているのは五人部屋で、私と宗教おばさん以外はみなおばあさん、しかも寝たきりである。
宗教おばさんと反対隣に寝ているのは酸素吸入をしているおばあさん。ほとんど動かないのでとても静かである。
その隣も寝たきり。夜になると必ず「安定剤をくれえ」と言うので、安定剤ばあさんと名づけてみた。
私と反対側の一番端に寝ているのは、半身不随のばあさん。この人がものすごいわがまま。術後二日目、朝の食事の面倒を見に来た家族(おそらく息子)から「このぼけ老人が! なんで人が帰ろうとするとそういうこと言うんだよ!!」と怒鳴られていてびっくり。
起きているときは五分おきくらいにナースコールをし、来なければ通り掛かりの人(他の患者に見舞いに来た人、または身動きの取れる患者)にも「ちょっとー、あんたー」「すみませんー」などと言いつづける。それもかなわないと茶碗を鳴らしたり、ベッドの桟を叩いたり。おむつをはずしたり、点滴を取ったりは日常茶飯事。看護婦からも「いいかげんにして」と言われている。
宗教おばさんに「本は必ず読んでくださいね」と念を押される。このおばさん、よく観察していると、朝と夜に念仏を唱えている。毎日娘が見舞いにやってくるが、この娘、高校生くらいなのにすでに同じ宗教にイッちゃってるらしい。この人たち、自分たちは幸せなのかもしれないが、「見舞いに来るのが娘しかいない」ことの理由を考えてみたほうがいいのではないか。
「膀胱炎がひどい」というダンナの連絡を受け、母が二度目の見舞い。母、隣のばあさんを見て「いつ棺桶に入ってもおかしくない人だねえ」と実も蓋もない感想。
主治医の回診の時、「傷の回復の具合はどうですか?」と聞いてみた。何か質問しないとこの人は五秒くらいしか滞在しないのだ。すると、「普通です」
との答え。普通…… 普通……。
ところで、先に書いたように私と宗教おばさん以外は寝たきり。おむつをしている。このおむつを一日に何度か替えるのだが、時間毎に行なうので三人同時である。したがって、取り替え作業中の匂いのすごいこと! 一度は息ができなくて死ぬかと思ったくらい。ああなぜ、他人のうんこはああもくさいのだろう。
母が私の代わりに例の本をおばさんに返してくれる。おばさん、母に向かって「感想はどうか」と私の反応を聞きたがるも、私はじっと我慢。反応がないと知るや、今度は母に向かって説教を始める。母も最初は半身こちらに向けつつ「はあはあ」と適当すぎる返事をしていたのだが、説教が十分以上に及ぶに至り、しかも「電話番号をあげるから」などいいたい放題なのに切れて、シャーッとベッドの境目のカーテンを閉めてしまった。しかしそのおばさん、私たちがカーテンを閉めてもまだ一人でぶつぶつと話し掛けていた。おいおい。
午後、隣のばあさんがうなっていたので
「?」
と思ったが、見ると目を開けているので、そのまま電話しに出かけた。
戻って本を読んでいると、看護婦がやって来て、隣のばあさんに声をかけるが反応がない。何やら看護婦が集まって来て「家族に連絡は?」などと話し合っていたかと思うと、医者の声で「四時十二分」……てことは、もしかして?!
じっと息を殺していると、やがて家族が到着。「眠るように、すっと逝っちゃったんですよ」などという説明を聞いている。
死んじゃったんだあー!! 死ぬってこんな簡単なもの? だって彼女は朝もご飯を食べていたのだ。 それに、危なくなると別の部屋に運ばれたりしないか?? しかも、医師も死に目に間に合わなかったようで、どうやら意識して死に目にあってしまったのは私だけ、らしい……
その後、化粧したり服を換えたりしたが、葬儀社が来るまで動かせない、ということで「彼女」は三時間ほどそこにいた。そうこうしている間に食事の時間! 彼女を隣に感じながら、私は食事を食べた。まだ数日しか入院してないのに、もう人に死なれるとはなあ…… でもってとなりでご飯食べるはめになるとは……
なお、わがままばあさんは、この騒動で何人もの看護婦が出入りしているので大はしゃぎ。「すいませーん」コールの連続で、めちゃめちゃ嫌がられていた。
夜、宗教おばさんと安定剤ばあさんのあとに入院。二人ともインフルエンザのおばあさんだが、歩ける(これでおむつはわがままばあさんだけに。ほっ)。
朝からわがままばあさんに「ちょっとー、おねえさーん」と通るたびに声をかけられて、無視するのが大変。心の中で「わたしは『ちょっとさん』じゃありません」「わたしは『おねえ』という名字でもありません」と断り続けていた。しかし、そんな彼女、なんと来週いっぱいで退院するとのこと。家族が励ますようにばあさんにそう話していたが、本当にいいのか?今後のことは大丈夫なのか? 家族の人。
午後四時。死人の後に私よりすこし年上くらいの女性が運ばれて来て入院。ずっとでっかい声でうなっていて、看護婦の問いかけにも答えず、名前も分からない。
夜、女性が正気に戻る。どうも彼女は結婚しているらしい。びっくり!! 正気に戻るや、「入院なんてきいてないー! だめだよー」「(出された食事を見て)これ、お粥でしょう? お粥じゃいやー」とゴネまくる。看護婦の質問や呼びかけにはすぐに反応しないのに、ベッドから携帯をかけたりする(注意:病院での携帯電話の使用は禁止されています)。 深夜、その夫が来る。本人が出たいと言い張り、結局仲良く帰って行った。やれやれ。
暇で仕方がないので、実家に電話をかけ、「どなたでもかまいません。ぜひともお見舞いにいらしてください。明るい患者で、楽しいよ」と売り込んでみたら、「やなこった」と言われた。ちくしょー、どうせこんなヤツだよ、母親ってヤツはね。
午後三時、回診。私の主治医はただイソジンを塗り、ガーゼを取り替えるだけなのに、看護婦を何人も連れてやってくる。看護婦にも緊張が走っている。きっと権威主義の人なのだろう。看護婦に「月曜日手術だったら、月曜日抜糸で火曜日退院ですね」と聞かされていたので、「明日、抜糸ですよね?」とわくわくしながら聞いてみたら、「明日? 誰もそんなこと言ってないよ。せいぜい水曜日くらいかな」とのこと。げー!! あと四日もいるのお? あと二日だからといろいろ楽しんでたのにいー。……あまりのショックに声も出ない。そしてそんな時に限って誰も見舞いに来ない……
この回診のときに初めて自分の傷を見た。すごかった。縦5センチ、横10センチくらいのL字型で、その傷の下に内出血もしている。これじゃあ痛いし、すぐ退院できないよなあ、と(頭では)納得。しかし、「腹を裂かれた」という気分。盲腸で十日も入院、なんて話は聞いたことがない。
夜、下痢。さみしーい気分になる。
午後四時、尿をした後お尻を拭いたら真っ赤に。何? と一瞬、他の人のもんを拭いたのか、と思ってしまった(が、「他の人のもん」って何? 何で私が拭く?)。何度か拭くと、生理じゃなく肛門から出ている。「天 皇 下 血」の四文字が頭を過ぎり、真っ白になりつつ部屋からナースコールしたら「流しちゃったの?」と怒られた。普通、流すだろ。
しかし、その後血は出ず、看護婦さんに「(紙で)こすりすぎじゃないの」と言われた。そんなにこすってないぞ。
ただ、直腸より下じゃないと、真っ赤な血じゃないそうだ。とりあえず傷からの出血じゃないことに安心。私は「昨日の下痢でどこかが切れたのが溜まって出血したんだろう」と勝手に結論づけることにした。
午前十時半、相方来る。退院準備のため、余分な荷物を持って会社へ。その中には私がパンツ代わりに当てられている「越中ふんどし」ことT字帯も。すまんのう。
午前十一時、回診。主治医が、いつもと同じように消毒して終わりにしようとするので、「今日から抜糸ですよね」とせっついた(彼は手術日を十九日と思い込んでいる)。三回ほどプチプチと切る音がして、糸が抜かれた。肉が引っ張られる感覚がキモチいい。
ついでに肛門を診てもらったが、裂肛(切れ痔)はないとのこと。内視鏡の検査をするか、保留にしておく。
例のわがままばあさんを、隣のばあさんが相手にしなくなったため、今度はその隣、つまり私の隣の女性がいちいちナースコールしてあげている。えらいなあ。心広いなあ。それとも辛抱足りないだけか。
午後、出血もなくなったので、看護婦さんに検査を断る。
午後五時、主治医より正式に明日の退院許可。ついでに「背中と腰が痛くて、あまり歩けない」と訴えると「それは(原因が僕には)わからない」の返事。をい! あんたは外科だろ!
午前十一時、最後の抜糸。今まで包帯のように巻かれていた腹帯とT字帯から解放され、パンツを穿くことを許される。この一週間以上着続けた、「包丁一本 さらしに巻いて〜」+「飛脚」または「おやじの寒中水泳」スタイルも、今日で終わりかと思うとちょっぴりさみしい。今から思うとなんと「鳥羽一郎」の世界の似合いそうな姿だったことか。
久しぶりに見た腹はずいぶん出ていた。まるで妊娠しているかのよう。いくらなんでもこんなに出てなかったんじゃないか。これは手術のせい?
……と思い親に電話したおりに聞いてみると「自腹だよ」
こんなヤツだよ、母親ってヤツはね。
短かった懲役生活…… しかし、麻酔、手術、膀胱炎、切れ痔、宗教勧誘、死人、などなど、いろんな経験をした。すんごく楽しかった。でももう手術はいい。当分「ハラキリ女」として生きていかねばならないんだし。(終わり)
長々失礼しました。