大正元年 1912 0歳
群馬県利根郡池田村に、二男として生まれる。生家はいわゆる「小作農」、超貧乏な農家であった。ちなみに「二男」なのに「久三郎」とはこれいかに?さらに謎なのが、父親「妻五郎」は長男なのに「妻五郎」である。????
池田尋常小学校に入学。成績の優秀な子供だったが、特に体育は大得意だった(本人談)。
池田高等小学校へ進学。
池田高等小学校を卒業。小学校の向かいにあった佐部(さとり)家へ奉公にでる。小学校卒で奉公なんて、ホント「おしん(ちなみに彼の妻の名前と同じだ!)」の世界であるが、当時はこんなのごく普通だったらしい。とにかく一人でも食い扶持を減らしたいからであろう。
ところが、運のいいことに?、奉公先の主人が久三郎の才気を見抜き(あくまで本人談)、このまま教育を受けないまま終わるのは惜しい、と農業実業補習学校へ通わせてくれる。
こういう、「ゆとりのある家は貧しく才能のある人材に援助しよう」という風潮がちゃんとあったのね。
ちなみに、実業補習学校は、さまざまな事情で教育が受けられない労働者のために設けられた夜間の学校で、週二度程度、現在の高校レベルの基礎教育と農業に関する知識を教えたと思われる。