狂依存

(今更行って、なんになる)

通いなれた森を歩きながら、彼はそう心の中でつぶやいた。

(それこそ、両親の仇じゃないか)

憎悪を顕わそうと眉間にシワを寄せてはみるが、のらりくらりと動く足は止まらない。

鈴のような声音が、焼きついた脳に響く。

(ラズはずっとシローさんに会いたがってた)

だから会いにいくのか。

軍属を退いて以降、憲兵の執拗な尾行が無くなった気軽さもある。
何年も会っていない友の顔を見たい気持ちもある。
朱布に包まれた姿を遠目でしか見た事がない、最愛の人の子の素顔を見たい気持ちもある。

だが、会ってなんになる。
結局は同じ事の繰り返しにしかならないだろうに。
関係を絶って何年も経っている今、ちょうど縁を切るいい機会だろうに。

何から何まで憎むべき相手であるはずなのに、どうして愛してしまうのか。

(あぁ、ウンザリする。馬鹿馬鹿しい)

止まらない足に悪態をつきながら、彼は通いなれた森を歩く。




2人が顔を合わせたのは、ほんの1年程度前だった。

黒い装束の聖職者が3〜4人、1人の幼児を連れて「悪魔の森」へ入り、「悪魔」の前で幼児を解放し、無言のまま帰っていった。

幼児の右足には、「悪魔」と全く同じ鋼鉄の足枷が嵌められていた。
「悪魔」は幼児に近付いた。
警戒した幼児は身を引いたが、目の前の生物が自分と同じ何かを負わされている事を直感し、その顔をまっすぐ見つめた。

「悪魔」の顔は、満面の笑みを湛えていた。
幼児は、生まれて初めて見るその顔に言いえぬ安堵を覚えた。
幼児を抱きしめて「悪魔」は言った。

「リホ、愛してる」

「りほ、あいしてる」幼児は「悪魔」の言葉をそのまま復誦した。
「悪魔」のぬくもりを肌で感じ、初めて覚える感覚に心を震わせた。
自分が居るような気がした。
居ることを許されている、否、求められている気がした。
幼児の大きな瞳から、大粒の涙が溢れだした。

それは本当に唐突で無情な出会いであったのに、2人が強い絆で結ばれるのに時間は要らなかった。

「悪魔」は幼児の前で、自分の事を「おとうさま」と呼んだ。
「悪魔」に「リホ」と呼ばれた幼児は、やがて「悪魔」のことを「おとうさま」と呼ぶようになった。


ある日、「おとうさま」と「リホ」の前に1人の男が現れた。
「おとうさま」はその男を「シロー」と呼び、一瞬笑顔を浮かべた。
「おとうさま」が自分以外の相手に笑顔を向けるのを初めて見た「リホ」は驚いたが、「おとうさま」の表情は、すぐにこわばってしまった。
「シロー」と呼ばれた男も、冷たい目をしたまま無表情に「おとうさま」を見ている。

「リホ」はただ、「おとうさま」と「シロー」の顔を交互にながめていた。


どう声をかければいいのか、彼にはわからなかった。

それは本当に久しぶりの再会だった。
幼少の頃から、共に遊んでケンカして泣いて笑ってきた、大事な親友だった。
そんな親友が、数年ぶりに自分の眼の前に現れた。

それなのに、どう声をかければいいのか、彼にはわからない。
いや、彼でなくとも、彼の立場に立てば誰でもわからないかも知れない。

親友の母は、彼とその一族が原因となって、弟を殺したのち自殺したという。
そして親友の父を殺めたのは、他の誰でもない彼自身なのである。
犯罪者の処刑を生業として宿命付けられた彼の責任では無いにしても、負い目を感じずにはいられない。

「シロー…」
やっと彼の口から出た言葉は、悲哀を帯びた、潰れそうな小声だった。
「よう」
返ってきた親友の声は、彼のそれを蔑むような、冷静で感情のない平坦な音であった。
「……」
何かを言おうとしても、彼の口からは言葉が出ない。思い浮かばない。
もし人間として生きる事が許されていれば、もっと思いつく言葉があるのだろうか。彼は久しぶりに自分の背負った宿命を呪った。
「こいつか」
彼の苦悶などお構いなしに、親友は彼のただ1人の娘に目を向けた。
「マリーの子は」
「リホだ」
やっと言葉が出た。
「知ってる」
やはり平坦な親友の応答。
「本人から聞いた。神話に出てくる女神らしい」
所在無げに2人の顔をきょろきょろ見ていた彼の娘と、親友の目が、ふと合った。
表情に少しも変化のない親友の目を、彼は見た。

(ああ、やっぱりシローだ)

口角が上がらなくても、目尻が下がらなくても、深い慈愛を感じさせる親友の不思議な顔が懐かしい。
自分以外の者には一度も気を許さない娘のリホも、不思議と嫌な顔をしないで親友の顔を覗き込んでいる。
「似てるだろ」
「目元なんか気味悪いほど似てる」
「気が荒いのも似てる」
「へぇー…」
「シロー」
「ん?」
ずっと娘を眺めていた親友が、おもむろに彼の方を向いたとき、彼の胸はまたきつく締めつけられた。
「…ごめん」
「何が?」
「クロック…」
「気にすんな、アレの自業自得だ」
「……でも」
「それに」
親友はちょっと目をそらすように俯いて、
「俺の自業自得でもある」
そう言って、
「お前にゃ嫌な仕事させちまったな」
少し笑い、娘をひょいと抱き上げた。
「シロー…」

自分は、これまで何度彼に救われただろうか。これから何度彼に救われるのだろうか。

悔しさと、嬉しさが、彼の頬をつたって荒れ野に落ちた。

(早い)

彼がはじめて体調異常に遭遇したのは、シローが森に現れて数ヶ月ほど経った頃であった。

それは突然襲ってきた。意識を失いそうな程の、今まで味わった事のない痛みが彼の全身を走った。

早い。それが、彼が率直に感じた思いである。
母のフリーダは、自分を生んで何年も経っていたから恐らく30代前後だったはずだ。
自分は今、確か20を過ぎて間もない。やはり、早い。

彼ら親子にとって、この「体調不良」はすなわち「死」を意味していた。
そしてこれは、彼ら首刈りに課せられた「生きることへの最期の屈辱」であった。
彼自身、母がこの激痛に苦しみ、のた打ち回り、果てはおのれの喉を突き刺して自害したのをその目で見ている。

(リホは、いないな)

朦朧とする意識の中で、彼は辛うじて周囲を見回した。
娘のリホは食料調達に出ていて、ちょうど彼のそばを離れている。
(よかった)
痛みで叫びたい衝動を抑え、彼は銅像のように硬直し、発作がおさまるのを忍耐強く待った。
軽く咳をすると、ボトボトと音を立てて、鮮やかな血が口から溢れ出た。

いずれ自分がこうなる事は、母の壮絶な死を見て知っていた。

だが、やはり早い。
娘のリホは4つになってまだ間もない幼子だ。
大事な大事なマリーの娘を、1人この暗黒の森に置いたまま、為す術もなく死を迎えるしかないのか。

(また……)

そんな彼の脳をよぎるのは、必然的に、ただ1人の男の姿である。

(また…シローに頼るのか)

マリーの娘を……否、接触すると犯罪者として罰せられる「首刈り」の世話を委ねられるのは、やはり彼しかいないのだった。

激痛の発作がようやくおさまってきた頃、生い茂った森の奥から「おとうさまぁ」という幼い声が届いた。
彼は口に付いた血液を袖で軽く拭うと、まるで何もなかったように、四つ這いになっていた姿勢をもたげ、背筋を伸ばして立ち上がった。

(あの子には絶対見せてはいけない)

それは、自分自身の経験から得た、彼の悲壮な決心であった。



おとうさまに、ぎゅってされたのをおぼえてる。

「リホ、これからお父さまの言う事を、ちゃんと聞くんだ」

リホはよくわからないから、でもなんかいつもとちがってこわくて、じっとしてた。

「お父さまは、もうすぐ死ぬ。リホと一緒にいられなくなる」

「……しぬ?」

「そう、死ぬんだ。首刈りは街の人よりずっと早く死ぬ」

「なんで?」

「そういう風に決まってるんだ、今は……」

おとうさまは、リホを体からはなして、リホの目をじっとみた。

「おとうさまがしんだあとは、シローをおとうさまと思って、いきるんだ」

「シローがおとうさま?」

よくわかんなかった。だって、シローはシローだもん。

「そして……」

おとうさまはすこし目をつぶって、また、リホをぎゅってした。

「おとうさまの死ぬところを、絶対に、見るな。約束だ」

「……うん」

よくわからないけど、リホはあのとき、うんといった。



おとうさま、リホはあのときウソついた。

だって、リホはおとうさまがだいすきなんだもん。



首刈りと長年つきあっているシローマルにとって、こうなる事は最初から判っている事だった。

ただ、この「こうなる事」の始末を頼まれたとき、彼はさすがに身じろいだ。

「シロー」

彼の親しい友人は、激痛に耐えながら、こう言ったのだ。

「わたしをころしてくれ」


それは、見ている方まで息が詰まるような苦しみ方だった。
目尻が裂けそうなほど目を剥き、顎が外れそうなほど大口を開け、この世の大気を全て奪いそうなほど息を荒げ、その口の端から、絶え間なく真っ赤な血液が落ちてゆく。
彼はふと、父が生前研究していたネズミの動物実験の様子を思い出した。アレに非常によく似ていた。
ただ違ったのは、人間の方は暴れ回る事なく、冷静に自分に向かって「ころしてくれ」と頼んでいる、ただそれだけだった。

「俺に…お前を、殺せと……」
「そうだ」

どのみち、このまま放っておけば、彼は一週間ともたずに「自然と」絶命するだろう。
それでも彼は、眼の前にいる親友に自分の殺害を嘆願している。それも、ひどく悲痛な様子で。

確かに、この苦しみを一週間も続けさせるのは残酷な気がする。事実、彼の母親はこの苦痛に耐えかねて自ら死を選んだのだ。
そうだ。彼の母は、自ら死を選んだ。自分の始末は自分でしたはずだ。

「何故、俺に」
「マリーを……」
彼は、切れ切れの息を必死に整えながら、かすんだ声を搾り出して、
「…手放した」
そう答えた。
「馬鹿、アレはマリーがお前に黙って森を出たんだ、あの誓いに違反しない」
「……それに…」
彼はシローマルの服の裾にしがみつき、起立状態に耐え切れず膝を地面につけた。

「人間の手で、殺されたい」

「……」

シローマルは、俄かに返事が出来なかった。
首刈りは「人外」の生命体として、罪人の――「人間」の処刑をする事によって、社会での存在意義を保って生きている存在である。
彼らには、人間に直接殺害される権利すら与えられていない。人間の手にかかって殺害されるのは、人間の特権である。

(ふざけている)

シローマルは、ラズの足元に転がっている「人間の首を落とすために作られた剣」を手に取った。

「早く、早くしないと…リホがもどってくる」

鞘を抜く冷たい音が、静かに響く。

「ラズ…」

己の涙で滲んでよく見えない親友の肩に手を置き、シローマルは刃を彼の頚動脈にあてた。

「すぐに済む。すぐ楽になるから、安心しろ」
「シロー…ごめん」
「気にすんな、ちょうどいい仕返しだ」
「あの子を、リホを」
「解ってる」
「…ありがとう」
「ラズ」
「……?」
「あの世でマリーに会ったら、俺の代わりに謝っといてくれ」


「ねえシロー、おとうさま、もうしんだの?」

「……」

「リホ、へいき」

「……」

「だっておとうさま、しぬって言ってたもん」

「……」

「ほんとは見てたもん、おとうさまがずっと痛がってるの」

「……」

「今のおとうさまのかお、すごくうれしそう」

「……」

「だから、リホへいき」

「……」

「ねえ、シロー」

「……ん?」

「シローはリホと、ずっといっしょにいる?」

「ああ、いる」

「ほんと?」

「本当だ、絶対にお前を1人にはしない」

「ほんと…?」


「…リホ」

「…っん…とに?」


「愛してる、リホ」





暗いorz