先の戦争を考える
はじめに
先の沖縄戦に関する文献を読み漁っていると、天皇制について考えさせられる時がしばしばある。昭和天皇が先の大戦で敗戦を意識し始めたのは、「木戸幸一日記」によれば、1943年3月30日のガダルカナル惨敗の時からであったとも言われている。そして、同年4月から、アッツ、サイパン、テニアン、グアムと玉砕が続き、米内海軍大臣ですら「誰が見ても日本の負け」と公言してはばからなかったという。また、先に大戦での日本兵の戦死者のうち餓死者は160万人にのぼるという説がある。戦争とはこれほどむごいものなのか考えさせられる。と同時に、戦死された方には失礼かも知れないが馬鹿な戦争を日本はしたものだと思う。
「誰が見ても日本の負け」といわれる敗退の最後の過程で行われたのが沖縄戦である。20数万人の戦没者のうち激戦地で命を失ったものだけでなく、日本軍によって大切な食糧を奪われ飢死にし、スパイの疑いで拷問、虐殺され、集団自決を強要された人も数多いという。そういう意味では沖縄の人たちも最大の被害者である。
沖縄戦と住民の虐殺
沖縄戦で悲惨な運命を辿り、戦後は沖縄県民の意の届かないところで日本から分離され27年間も米国の支配下におかれたことは戦後処理の最大の被害者であったといえよう。しかし、沖縄県民の意の届かないところでそれが決定されたとはいえ、ベトナム戦争、湾岸戦争、ソマリア出撃と、間接的にはアメリカ軍の世界戦略に大きく加担し、戦争の加害者になっているいることも忘れてはならない。
加害者としての沖縄
沖縄から見た先の大戦
なぜ、先の天皇はこのような絶望的な戦争を続けたのか?天皇制を維持するために戦争を続けたにほかならないように私には見える。幻のソビエトを仲介者とした和平案のなかに、天皇制の維持と引き換えに沖縄の分離を提案していたことも明らかにされているし、重臣の和平の提案を拒み続けてきたのも天皇である。それが一転無条件降伏を受け入れたのは、ソビエトが日本を占領すれば国体が崩壊するのは目に見えていたからであるともとれる。このような敗戦処理の過程のなかで現在の沖縄が形成されてきた。
好まざるにかかわらず加害者の立場にもたっている沖縄にはすばらしい思想がある。それは「ヌチドウタカラ(命こそ宝)」の考え方である。「ヌチドウタカラ(命こそ宝)」の考え方を基に日本の平和はどうあるべきかを考えていきたいと願っている。