■ appe ■
「全く、信じられませんよ」
八戒が、憤慨したように言う。
「あー、俺も信じられなかったぜ」
適当な相槌を打ちながらも、悟浄は自分の手元から目を離さない。
「まさかこんな事になるなんて…」
「本当になぁ…」
「妖怪と人間って外見的にもあんなに違うんですから、当然中身も違うと思っていたんですよねぇ」
「うんうん」
「それなのに、こんなところばかりは前のままで……って、聞いてます?!」
ついに、上の空の返事しか寄越さない悟浄に、八戒がキレた。
しかし切れたのは悟浄も一緒。
悟浄は備え付けられた病室の安っぽい丸椅子から立ち上がりもせずに、八戒を睨みつけた。
「あぁ?!聞いてるかって?聞いてるじゃねぇか!一日中・何処にも行かずに・お前の横で!」
ちなみにここが個室でよかった…なんて思う人間は、この部屋にはいない。
個室なのも防音設備が良かったのも、寧ろ偶然。
何の気紛れか三蔵が見舞いにきたことが、病院関係者に利いたのか。大部屋の住人だったはずの八戒は、その日の内にVIP用の個室に移されたのだ。
そう、ここは病院。
この個室自体は某有名ホテル並に落ち着いた木目調で統一されたゆとりのある一室だったが、一歩廊下へ出ればリノリウムの床と消毒薬の匂いが待ち構えている。
「今更こんな時期に狙ったように盲腸なんてなりやがって!しかもオペんなきゃならねぇほど我慢してるなんて、テメェバカじゃねぇか?!」
「気が付かなかったんですよ!古傷が痛むのか、胃が痛んでるのかくらいにしか考えてなかったんですから!誰かさんのせいで!」
「俺か?俺のせいか?!ふざけんじゃねぇ!大体場所が違うだろうが!そもそも内臓が変質してるかもしれねぇって思ってる奴が、胃だけは元のままなんて中途半端な納得すんな!」
「妖怪化したときに完治したと思っていたんですよ!炎症も穴も!」
「お前の胃は元から病んでいたのか……」
「えぇ、実は……」
万事が万事、この調子で叫んでは黙り込むので看護婦も迂闊に近付けないというのが現状だ。
悟浄は溜息を一つ吐くと、再び己の手元に集中した。
「悟浄……」
「ん?」
「何やってるんですか?」
「リンゴ切ってる」
「……僕が食べたいって言ったの、三十分前でしたよね」
「そうかもなぁ」
「僕、うさぎリンゴが良いとも言いましたよね?」
「だったかもなぁ」
「……………なんで貴方、そんなもの一生懸命作ってるんですか?」
そんなもの、と指された先には林檎の赤が美しい……
「朱雀だ、朱雀。超大作だろ」
それは見事な林檎細工の鳥が一羽。
悟浄は得意そうに最後の切れ目を入れると、そっと白い皿の上に置いた。
「うーん、流石オレサマ」
左右に展開する両翼と、滑らかな曲線を描いて広がる三本の尾羽根。
羽根の一枚、模様の一片が細密に再現され、今まさに飛び立たんとしている炎の具現。
だが、悦に入る悟浄をねめつけた八戒は、無造作にその尾を摘むと引き千切った。
「あぁああああっ!!!」
今度こそ、悟浄は立ち上がって抗議の声を上げるが、それに対する八戒の瞳は至極冷ややかだ。
「食べられるものを食べなくてどうするんですか」
「だっ…おま、それ……」
「あーあ、三十分も掛けるから、すっかり赤く変色して」
「……塩があったら掛けながらやってたわ」
「あぁ、なるほど。綺麗なお姉さん侍らせて、『きゃー、悟浄スゴーイ』とか言われるわけですか。この宴会芸で。その割には時間掛かりすぎじゃないですか?」
「鶴とか亀とか兎なら五分で出来る」
「じゃあ、態とですか」
瞬間、二人の間に緊迫した空気が張り詰める。
「………………喋るのが面倒なんだよ」
ぼそり。
こればかりは白いカーテンがふわりと風に靡き、その軌跡が元の位置に収まりきってから、悟浄は手にしていた果物ナイフをサイドテーブルに置いた。
「ここに来ないとお前が煩いし、来たら来たで病室に篭もるしかないし」
「別に無理に来てもらうこともないんですよ。一応完全看護ですし」
「なら文句言うなっつーか邪魔すんな」
「邪魔?邪魔って何ですか?」
「ナースステーション行く度に探しに来やがって!白衣の天使と話をする隙もありゃしねぇ!しかもおかしな噂立てられて…」
「それは貴方が悪いんでしょ?!僕が大人しくベッドで寝ていなきゃならない時に、見舞いに来るでもなしにナンパばかりして」
「おーよ!この機会をものにしないでどうする!でもなぁ、ナースの姉ちゃんたちにはすっかり俺たちがホモだちだって認識されちまって、逆に激励受けてるって情けねぇ状況なんだよ!」
「……いいじゃないですか、祝福されてるようで」
「……お前とじゃなきゃな」
ひとしきり怒鳴ってしまえば後は冷静になるだけ。二人は顔を見合わせて、重い息を吐き出した。
「あのさ」
「はい」
「早く退院できるといいな」
「出来ますよ。いられても精々後三日ってところでしょ」
「それまで保つかなぁ……」
何が、とは言わない。
でもそれだけで八戒には伝わる。
「保たせて下さいよ。何なら手ぐらい貸しますし」
「貸して欲しいのはお前の方だろ?」
「そりゃあ、もう。是非」
下世話な会話ももう飽きた。
一人きりの家に帰るのも、冷たいベッドに潜り込むのも。
「でも、生え揃うのにはもう少々掛かりそうなんですよねぇ。いっそ貴方も剃りますか?」
「真顔でそんなコト勧めんな。ってか、ジョリジョリしそうだよな、暫く」
「じゃあ、それを楽しむということで騎乗位で」
「………抜糸がすんだらな」
それは風温む頃の、おはなし。
appe、正式にはAppendizitis。独語で虫垂炎。
虫垂炎に付物なのは剃毛。春らしくさらりと下世話にしてみました。(<すんな)
まぁ、本当になんとなく。