■ マニキュア ■




 悟浄は自分の爪が赤く染まっていくのを、不可思議に思いながらも眺めていた。
 女性特有の細くて長い指が悟浄の手を取り、己のそれと同じ彩を乗せていく。
 小さな刷毛が滑る度、無骨で平たい爪が真っ赤に染まる。それはどう見ても滑稽な様だったが、女は楽しそうに笑いながら作業を続けた。
「似合うじゃない、悟浄」
「そっか〜?」
 見れば見るほどおかしなコトこの上ない。
「カマみてぇじゃん」
 節くれだった、お世辞にも綺麗とはいえない骨の浮いた手。女の手にあれば華やかなその色彩も、自分の指先には酷く場違いなものに見える。
 そもそも、塗られた瞬間から皮膚呼吸を阻害されているような奇妙な感覚があるというのに、このマニキュアというヤツは乾くと爪が引っ張られるのだ。自分の爪なのに、自分のものではないような違和感。このまま放っておけば、ポロリと爪が剥げ落ちそうな不安にも似た感覚。
 全く女というヤツは、どうしてこんなものが好きなのか。
 傍らにある箱を覗き込めば、そこには同じような小瓶が十数個並んでいた。
「なぁそれ、全部使ってんの?」
 秘め事もそこそこに自分の爪に夢中になってしまった女に呆れながらも、悟浄は女の好きにさせてやる。口から出たのは、別段聞きたいことでもなかったのだから、女の返事なんか期待していなかったのだが。
「そうよ〜。日替わりなの」
「あ?」
「だってそれ、全部色が違うもの。気分によって毎日変えるのよ」
「ふ〜ん・・・面倒なことやってんなぁ」
 よくよく見れば、女の言葉通り全ての小瓶が微妙に色を異にしている。圧倒的に赤系統の色が多いのだが、中には黒や青や緑といった悟浄には馴染みのない色も含まれていた。
「当然じゃない。女にとって化粧は武器なんだから」
 誇らしげに応える女の言葉は、いっそ小気味良い。
 華やかな彩りは、彼女らにとっての力となる。男のような腕力はなくとも、艶やかな外見で惑わし闘う。女にとっての化粧は、愚かな男共を嘲笑う為の仮面でもあるのだ。
 女は薄く笑いながらも、刷毛を操る手だけは止めない。
 一定の速度で往復を繰り返す刷毛を眺めながら、悟浄は小さく溜息を吐く。
 俯いたせいで露わになった白い項や、伏せられた長い睫毛なんかは結構気に入っていたんだけど。
「な〜んか、そういう本音を言われちゃうと女性不審に陥りそうだわ」
「あはは・・・悟浄が?まっさか」
 豪快に笑い飛ばされて、悟浄は更に嘆息を募らせた。
 そういやコイツの顔、まだマトモに見てねぇや・・・。
 ふとそんな事が頭の端に浮かんだら、目の前の相手の顔が無性に気になリ始める。
 かと言って無闇に覗き込むわけにもいかず、悟浄は大人しく女の気が済むのを待った。手指の赤は親指から始まり順繰りに小指まで巡ったというのに、刷毛の先は再び親指に戻っている。どうやら1度塗っただけでは飽き足らないらしい。
「なぁ、まだ終んねぇの?」
 時計なんか見ちゃいないが、それでも結構な時間が経ってるはずだ。
 焦れた悟浄が文句を言えば、女は咽喉の奥で笑いながら「もうちょっとだから」と嗜める。
 その手には先程とは別の彩を乗せた刷毛が握られていた。
「おい・・・」
「いいじゃない。悟浄の爪って大きくて、遊び甲斐があるんだもの」
 器用に揺れる筆先が、煌く蝶を描き出す。
 一つ二つと飛び立つ蝶は、最早芸術の域に達していた。
 象形的ではあれど、今にも実体を持ちそうな蝶はまさに目の前の女にそっくりで。
「器用だなぁ、お前」
「ありがと」
 その繊細な線に心底感心して呟けば、女は目を細めて微笑んだ。
 一瞬だけ交わる視線に、悟浄は女の誘いを受けたワケを今更ながらに思い出す。
(あ〜、この瞳だ)
 女の瞳は茶褐色で、然程珍しい色合いではない。ただ、そこに宿る光のようなものが・・・アイツとよく似ていた。
 だから、誘いに乗ってやってもいいと、そう思ったのだ。
 落とした視線の先で五羽目の蝶が羽ばたき、するりと女の手が離れた。
「乾くまでもうちょっと我慢してね〜」
 女は悪戯っぽくそう言うと、持っていた小瓶を箱へ仕舞い始める。
 悟浄は漸く訪れた解放に安堵の吐息を漏らすと、再び自分の手を眺めた。
 どんなに飾っても、無骨な手は彼女達のように華やぎはしない。ちぐはぐな違和感を醸し出すだけだ。
 似合いたいなんてこれっぽっちも思っていないのに、いざ似合わないとなると悔しく感じてしまう。
 もう少し細い手指を持っていたなら、この爪も違和感なく見れたのだろうか。そう、アイツの手のように・・・造作が綺麗ならば。
(どっちかと言えば、アイツは寒色系の方が似合いそうだよなぁ)
 悟浄は頭の中で、先程目にしたミントグリーンをあの爪先に燈してみた。すると存外にあっている気がして、どうしてもそれを実際に確かめてみたくなる。
 ムクムクと湧き上がる悪戯心を抑え切れずに、悟浄は女の服の裾を引っ張った。
「なぁ、そん中にあるミドリの、俺にチョーダイ?」
 女は目を見開いて、次いで笑み崩れた。
「なぁに、目覚めちゃった?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど・・・」
 正直に理由を話すか悩む悟浄に、女は小瓶を差し出す。勿論中身はフロストグリーン。
「いいわよ、別に。代わりに今度新色買ってくれれば」
「あ〜・・・やっぱりそういうコト言うのね」
「当然でしょ」
「はいはい」
 軽口を叩きながらも、悟浄の手にはしっかりと小さな瓶が握り込まれる。
 いいでしょ。マニキュアの1本や2本、愉しい悪戯を提供してくれた御礼代わりに買ってやるよ。
 悟浄はニヤリと笑って、2本の指で摘み上げた瓶を振った。
 アイツが起きてる時に大人しく塗らしてくれる筈もないから、こっそり寝ている間に塗ってやる。
 起きたアイツが自分の爪の色に気が付いた時、一体どんな顔をするのか。悟浄は零れる笑いを隠し切れずに、咽喉を鳴らした。

「さんきゅ」






久々の更新が悟浄の浮気話とはこれ如何に。
でも、大きな爪にネイルカラーを塗り付けるのは楽しいですよね。
問題は、この後暫く悟浄さんがマニキュアを落とせなくて、お家に帰ったらまんまと八戒に浮気がバレるということでしょうか。
というかそれ以上にこの女、絶対にリムーバーを渡さないと思うんですが・・・。ま、ヲトメの夢ってことで(笑)




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