―水 妖―



「なぁ、なんで俺って『河童』って呼ばれてんだろうな」
 また何を言い出すのやら。
 悟浄は時たまどうでも良いことで議論をふっかける。単に暇だからなのだろうが・・・
 視線だけ向けると、悟浄はベッドに寝ころんだまま、右手を挙げる。
「だってさ、別に指の間に膜があるわけでも無し、頭に皿があるわけでも無し・・・」
 身体的特徴で言えば、確かに何もない。特に悟浄は人間との混血でもあるから、外見的には人間との差異はほぼない。
「河童といえば、胡瓜が好きで、相撲が得意で、人間の尻児玉を取っちゃうんでしたよね」
 少々軽口めいて付け足してやる。
 この世界で『妖怪』と呼ばれる者の多くは、普段は見せかけの形態をとる。そして本性はまた別にあるのが通常だ。悟空然り、自分然り。
 しかし、悟浄にはその『本性』というものがない。彼の妖怪たる要素はその『血』だけなのである。半分の『血』が彼を人でもなく、また純然たる妖怪でもなくさせている。
 そのことを刻みつけた頬の傷に、軽く触れる。
「でも悟浄は、『河童』というより『水妖』ですよね」
「相撲よりゃ、寝技のほうが得意だしな」
 唇の端を僅かに持ち上げ、笑う。
 茶化すのなら、それも良い。
「水妖っていうのは、水の怪。水気を纏う者ですからね。陰陽五行に於いて、水気は陰。『陰』は『淫』に通じると言いますから・・・」
「俺にゃ、はまりすぎってか」
 喉の奥で笑いが籠もる。
 頬に置いた手はそのままに、少しだけ身を屈める。
 視線が絡むのは、一瞬。
 直ぐに悟浄は瞼をおろす。あたかも、誘いを掛けるように。
 軽く顎が上がり、思いの外白い首筋が晒されている。
「そういえば『蛟人』は、その肉を喰らえば不老長寿を得られるそうですね」
 言いながら、その首筋に顔を埋める。
 その薄い皮膚の下には血管が・・・悟浄たらしめる血液が流れている。
「悟浄を喰べたら、少しは僕も変わりますかね」
 軽く、歯を立てる。
 己が肉食の獣になる、感覚。
(今更・・・)
 獣の性を背負うのは、己に課せられた宿業のようなもの。
 彼女を愛しいと感じたことが、既に間違いなのだ。だから自分は縛られる。今生に別れを告げることも出来ずに、ただ彷徨うだけの肉の器。魂なんて、あの時彼女と共に逝ってしまったのに・・・
「無理だろ、俺なんか喰っても」
 ポン、と頭を叩かれて我に返ると悟浄の笑い顔が見えた。
「俺は人魚じゃないから、喰っても腹下すだけだと思うぜ」
 少しだけ肩の力が抜ける。
 そんなことくらいで変われるのなら
(とっくに変わってますよねぇ)
 変われない自分を、それでも許してくれる人がいる。だから、せめて
(悟浄の前じゃ、無様な死に方は出来ませんね)
 それが最後の、ギリギリのライン。
 為すべき事を終えるまでは、おちおち死ぬことすら出来やしない。でもそれが、どこか気持ちよい。
 だから、笑う。
「本当に。だいたい、別の食し方の方が楽しそうですしね」
「よく言うよ」
 つられたように、悟浄の笑みが深まる。
 自分達はまだ笑える。だから、止まるまでは走るしかない。神も仏もない、この世界では。
「ま、先は長いんだし?」
「今日のところは悟浄に甲羅や鱗がないか、一晩掛けて確かめてみましょうか」
「今更そんなもん確かめてどうするよ」
「たまには良いんじゃないですか?」
 己が己であるために、自分を確かめるために肌を重ねるのも偶には良い。
 言外にそういえば徐に引き寄せられ、耳元で囁かれた。
(偶にしか、許さねぇけどな)
「・・・くくく・・・」
「あ、笑ってんじゃねぇよ、手前ぇは!何があっても手だけは休めねぇし・・・やっぱ、八戒が一番因業が深いんじゃねぇか?」
「そうかもしれませんねぇ・・・(笑)」
「だからいい加減、笑いやめよ」
「はいはい」
 こんな人もいる。だからこの世もまだ・・・
「捨てたもんじゃないですよね」
「はぁ?」
 怪訝な声を挙げる悟浄に一つ接吻け「何でもありませんよ」と誤魔化した。
 教えてやるには、勿体ないから。
 切り札は最後まで取っておく主義。
(貴方が側にいるうちは、大事に仕舞っておきましょう)
 まだ、走り始めたばかりなのだから。



「まぁ、『河童の夜這い考』ってのがあるから、あながち間違いじゃないのかもしれませんね」
「でも俺、お前に夜這われてばっかりな気もするんだけど・・・」
・・・・・お後がよろしいようで





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