・・・ 夜 明 け 前 ・・・



 ふわりと白いシーツが宙を舞う。
「これで、よし・・・と」
 八戒は白い布で覆われた室内を軽く眺めると、満足そうに微笑んだ。
 この3年ですっかり馴染んでしまった家具も、今は一つも見えない。
 あれ程在った悟浄の私物も、どこに消えたかと思うくらいの閑散さである。
「後は・・・悟浄ぉ?」
 ジープに荷物を積んでいるはずの悟浄を呼ぶと、彼は丁度仕事を終えたところだった。
「あれで全部だったよな」
「その筈ですけど・・・」
 見回して、玄関の脇に纏めてあった荷物が全てないのを確かめると、八戒は悟浄に向き直った。
 夜明けまでは、後数時間ある。
「お茶でも、煎れましょうか」
 3年間、毎日立ったあのキッチンでの、最後になるかもしれない仕事。
 その、どことなく感傷的な感情を振り切るように、八戒は笑った。
「ん」
 そして悟浄も、そんな八戒に気付かぬ振りをして、食堂の椅子を引く。
 自分もまた、似たような感情を抱えている事を、隠したまま・・・。


「どうぞ」
 コトリと音を立てて置かれたマグカップには、温かい中国茶が注がれていた。
 仄かな花の香りが、気持ちを落ち着かせてくれる。
 それが自分の為なのか、それとも悟浄の為なのか。
 判別はつかないが、きっと互いの為なのかもしれない。
 ただ今は、その温かさがありがたかった。
「あと、何時間だ?」
 沈黙に耐え切れなくなった悟浄が口火を切る。
「5時間って、ところでしょうかねぇ」
 のんびりと、両手でカップを持った八戒が応える。
 即座に答えが返ったところをみると、八戒もまた時間を気にしていたのだろう。
「そっか」
「えぇ・・・」
 再び訪れる沈黙。
 冷静に考えれば、何がどう変わると言う訳でもない。
 自分達は旅に出るが、それはこの家にいないだけで、互いはいつも側にある。
 それなのに・・・・・・
 悟浄は寂しくなってしまった室内を見回す。
 少しでも気に入れば、無理を承知で持って返って来た品物の数々。
 文句を言いながらも興味を示してくれる八戒の顔見たさに、どれだけのものを持ち込んだのか、既に自分でも覚えていない。
 チープな言い方をすれば、『思い出の品』ってところだろう。
 それらも全て、目に見える範囲には無い。
 片付け上手な同居人に、ほんの少しの恨みを込めて視線を送る。
 すると、当の本人と目が合った。
「どうかしましたか?」
「い〜や。何でもねぇ」
 ただ時間が過ぎるのを待つ事が、苦痛に感じる。
 せめて何か話せたら。
 そうは思っても、話題が見付からない。
 話せる事なんて・・・
「3年」
「へ?」
 思考を遮るように発せられた言葉。
「いえ、僕がこの家でお世話になり始めてから、もう3年なんですね」
「あぁ」
 どうやら八戒も同じ事を考えていたらしい。
 避けたいけれど、お互いの頭の中にはそのことしかなかったから。
「意外と早いものですね、3年って」
「そうだな」
 悟浄は天井を見上げた。
 3年。
 その数字は、一個所に居を構える事の無かった悟浄にしてみれば破格の年数だ。
 8歳で家を飛び出してから、様々なところを渡り歩いた。
 長くても数ヶ月。一夜限りの宿も多かった。
 そんな自分が、こんなに長くここに住んでいた訳は・・・
(やっぱ、こいつなんだよなぁ)
 八戒が来るまでは、ただ寝に帰る『巣』のようなものだった。
 でも、二人で暮らしはじめてからここが自分の『家』なんだと感じるようになった。
 全ては、目の前の人物のせい。
 ちらりと見やれば、八戒の目が笑いの形を作る。
「なに?」
「いいえ。僕にとって帰る『家』は、やっぱりここなんだなぁ・・・って」
 あの時、貴方の側で生きると決めたけど。
「今更そんな風に感じるなんて、変ですよねぇ」
 苦笑を浮かべながらも、きっと理由は同じだろう。
「・・・・・・『帰って』来れますよね」
 考える事を避けていた、可能性の一つ。
 桃源郷に起こった異変。暴走する妖怪達。
 そう、弱くはないと信じているが、可能性だけは捨て切れない。
 敵の手にかかるか、自らも暴走するか。
 いずれにせよ、そうなったらゲームオーバーだ。
「平気だろ」
 悟浄はズボンのポケットを探り、煙草を取り出した。
 今の自分には信じる事しか出来ないから。
 弱気になったら全て上手く行かなくなると、学んだのは幼い頃。
 だからなるたけ、何でもない事のように口にする。
「面倒な事はとっとと終らせて、またここに『帰って』くればいいんだ」
 俺達にはそれが出来る筈だから。
 俺とお前と。三蔵に悟空もいる。
 4人もいれば、大抵の事は何とかなる筈だ。
 そう告げて、煙草を1本取り出す。
「そう・・・ですね」
 嬉しげに・・・安心したような声で八戒が応える。
「そうだよ」
 難しい事なんかじゃない。
 ただ行って、帰って来るだけだ。
 その後はまた、穏やかな生活が始まる。
 この家も元通りに賑やかになって。
 そう考えながら煙草を咥えたところで 、八戒の手が伸びて来た。
「駄目ですよ」
「あ?」
 いきなり煙草を掠め取られて、思いっきり眉が寄る。
「灰皿、片付けちゃったんですよ。しばらく煙草は我慢して下さい」
 もうすぐ家を出るんですから。
 言われて時計を見れば、予定の出発時刻から1時間を切っている。
 悟浄は深い溜息を吐くと、諦めたように煙草の箱をポケットに戻した。
「やれやれ・・・」
 しばしお別れのこの家で、最後の一服・・・と思ったんだけどな。
 まぁ、外で喫う分には文句も無いだろう。
「忘れ物は無いですか?」
 遠足に行く子供か、っての。
 反抗的にそう思えば、いつのまにか席を立った八戒が、隣にいた。
 僅かに腰をかがめ、触れるだけの接吻。
 温もりはすぐに離れ、面白そうに笑う八戒の顔が目に入る。
「口寂しいなら、僕がお相手してあげますよ?」
「遠慮しとくわ」
 後1時間も無いのに、一体何をするつもりか。
(侮れねぇ奴)
 くすくすと零れる笑いを押さえようともしない八戒の姿に、『最後の記念に』なんて言って押し倒されないでホントに良かったと、心の底から思う。
「ちっと早いけど、アイツ等迎えに行ってやるか」
 立ち上がりながら、カップを二つ片手で持って台所に向かう。
 洗ったカップは水切り台にあげて。
 どうせすぐに帰ってこれるんだから、こいつくらいは使えるように出しておいてもいいだろう。
(願懸け・・・みたいなもんか?)
 後ろで見ていた八戒も、悟浄の意図が分かったのか何も言わない。
「じゃあ、行きますか」
 アイツ等拾って、ジープでちょいと西まで。
 そんな気軽さが丁度良い。
「行きましょう?」
 八戒が笑って応える。
 『帰る場所』はここにあるから。
 最後にもう一度だけ部屋の中を見回し、再びここに立つ時を思う。
 踵を返しドアを開ければ、そこには白み始めた藍色の空と、明けの明星が煌いていた。




鶴亀 うさぎ様よりリクエスト頂きました、旅立ち前の二人です。
どれくらい前が『旅立ち前』に当てはまるのか、悩んだんですが・・・(^^;)
しかもえっちレスで申し訳ない(笑)って、せっかく長期留守用に家中片付けたのに、ベッド使わせたくなかったのよ・・・
ってのはこっちの話ですね(^^;) 鶴亀 うさぎ様、どうぞ貰ってやって下さいませ(^^)




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