■ はんどくりぃむ ■



 いつものように片付け物をしていたら、『じぃ〜』と悟浄がこちらを見ていた。
 あまりに真剣なその様子に、問い掛けるように小首を傾げてみても、悟浄はこちらのことなど全く気が付かない。
 挙句の果てに、何かを思い付いたというように慌しく席を立ってどこかへ行ってしまう。
「・・・何なんでしょうね、あれは」
 悟浄の行動が理解不能なんていつものことで、今更それについて悩んだりもしないが。
「気になっちゃうものは、仕方ないですよね〜」
 どことなく惚けた調子で呟いて、八戒は使用者のいなくなった灰皿を取り上げた。


「八戒、ちょっとこっちに来いよ」
 程なくして戻ってきた悟浄は再びソファに陣取ると、八戒を手招く。
 どうやら手の中に何かを握り込んでいるのだが、それが何なのか・・・八戒からは判らない。
 まぁそれも直ぐに知れることだろうと、八戒は大人しく悟浄の隣へ腰掛けた。
「それで、どんなご用件で?」
 少々意地の悪い言い方だと思いながらも、悟浄の顔を下から覗き込むようにして八戒は訊ねる。
 すると悟浄は左手を八戒の前へと差し出した。
「?」
 一瞬、何を要求されているのか解らずにいると、今度は短い言葉と共に手を捕まれる。
「手、貸せっていったの」
「あぁ・・・はい」
 とりあえず最初の要求は飲み込めたものの、そこから先がやっぱり掴めない。
 そのまま腕の力を抜いていると、悟浄は八戒の手をためつすがめつしてじっくりと検分する。
 それは掴んだ左手だけで行われる為に随分とぎこちない動きだったが、悟浄は構わず顔の間近まで持ってきたりもしながら、飽きることなく眺めている。
 そのこそばゆい感覚を我慢しながら、八戒が悟浄の好きなようにさせていると・・・不意にぺろりと悟浄の舌が指先を掠めた。
「っ!?」
「あ・・・悪ぃ」
 驚いて反射的に腕を引こうとすれば、悟浄は少々バツの悪そうな顔をしたものの、手を離さぬままに謝罪の言葉を口にする。
「何なんですか、いきなり・・・」
 ほんの少しの非難もこめれば、悟浄は八戒の手を漸く離し、自分の膝の上に置いた。
「いやさ、やっぱり意外と荒れてるもんだなぁ〜って」
「はい?」
「手。いっつも家事とかしてくれるじゃん?俺の知ってる女でもさ、『水仕事は手が荒れるから絶対にしない』ってポリシーのやつがいてさ。ま〜、水商売の姉ちゃんなんて、そんなのばっかなんだけど」
「はぁ」
「んで、八戒もいっつも水仕事してるのに綺麗な手ぇしてるよな〜・・・って思ってたんだけど・・・」
 悟浄は一度言葉を切ると、自分の膝の上に置かれたままの手を見詰めた。
 その様子がしょぼんと耳を伏せた子犬のようで、あまりの可愛らしさに八戒は小さく笑う。
「そんなに、気になります?それほど酷く荒れていると、自分では感じないんですが」
 訊ねてみれば、悟浄は顔を伏せたままで左右に振る。
「酷くはないけどさぁ」
「なら、別にいいじゃないですか」
「でも・・・」
 尚も言い募ろうとする悟浄の言葉を遮り、八戒は再び悟浄の顔を覗き込んだ。
「貴方がこの手を好きだといってくれるのは嬉しいですけど、生憎僕は女性じゃないんで己の美醜に拘るほど繊細じゃありませんし。あぁ、それとも・・・」
 さも『今気が付いた』という表情で、八戒は悟浄の頬を擽る。
「僕に触れられると、痛いとか?」
 僅かばかりの揶揄いを含んだ声音に、悟浄の頬に朱が走る。
「ばっ・・・そうじゃねぇよ!」
 妙に慌てる悟浄にとうとう笑いを殺しきれず、八戒は吹き出してしまった。
「そ・・・そんなに気になるようなら・・・ハンドクリームでも塗っておきますよ」
 笑いの下からそう言えば、即座に言い返すと思っていた悟浄の言葉が・・・いつまで経っても落ちてこない。
 八戒が不思議に思って顔を上げるのと同時に、ひやりとした感触がその手の甲に広がった。
「?」
 見れば白い軟膏のようなものを、悟浄が真剣な顔で塗り広げている真っ最中だ。
「・・・悟浄?」
「まったく、お前が変なこと言うから忘れるとこだったぜ」
 ぶつぶつと言いながらも、悟浄は熱心に八戒の手を擦る。力を入れ過ぎず、マッサージを施すようにゆっくりと繰り返される手の動きは、思いの外気持ちがいい。
「悟浄、それは?」
「あ〜、これ?この間街に行ったときに貰ったんだよ。本当は万能薬なんだけど、手荒れにもよく効くからって」
 悟浄の膝に置かれた軟膏の容器は、少々洒落た意匠を施したピルケース。
「へぇ・・・・・・」
 その出所も気になるが・・・今はとりあえず熱心に薬を塗り込める悟浄の横顔の方が心を占める。
「どう?結構よさそ?」
 一通り八戒の右手を擦り終わった悟浄は、ほんの少し誇らしげに聞いてくる。
 その子供っぽい表情ときたら・・・・・・
(食べちゃいたいくらい可愛いって、カンジですよね)
 八戒は邪な考えを腹の底に押し込めて、悟浄に応えるべくにっこりと笑う。
「えぇ、凄く効きそうですよ。特に、悟浄が塗ってくれると・・・」
 その言葉に、一度は引いた筈だった頬の赤みが更にグレードアップして戻ってくる。
 悟浄が衝動のままに立ち上がれば、ピルケースは音を立てて転がる。それを八戒は拾い上げると、空いた手で悟浄の腕を引っ張った。
「悟浄はマッサージも上手いから、僕が塗るよりももっともっと効きそうなんですよ。だから、ね?」
 左手もお願いします、と言われれば、悟浄は断る言葉も見付からない。
 渋々という様子で再びソファに座り直すと、悟浄は八戒の手からピルケースを奪い取った。
「今日だけ、だぞ?」
「え〜?悟浄にやってもらった方が、絶対に効きますって。それに僕、忘れそうですし」
「・・・・・・」
 絶対に八戒が忘れることなんてないと思いつつも、ここまでおだてられると悟浄も悪い気はしない。
「んじゃ、余計なこと言わないってんなら・・・やってやる」
 俯き加減に呟いて、悟浄は再び八戒の左手に軟膏を塗り込めて行く。
 その様を愛しげに眺めると、八戒は小さく『お願いします』とだけ囁いた。


 その後、軟膏の出所を八戒が執拗に問い質したのかどうかは・・・悟浄しか知らない。



 みれい様よりリクエスト頂きました、『家事でらぶらぶ』。・・・お題から大分離れた方向に行ってしまいましたが、これでも許して頂けるでしょうか?(汗)
 それにしても悟浄の膝に置かれた手を、自ら退かすことはせずそのままにしておく八戒さん。その行動はむっつり助平なおじさんだと思うのはワタクシだけでしょうか。
 いやはや、みれい様・・・お待たせした挙句こんなもので申し訳ないのですが、受け取ってくださいましね?(^^;;)



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