・・・ビー玉と金魚・・・



「・・・?」
 清々しいまでの上天気の朝、八戒はテーブルの上に見慣れないものを見付けた。
 昨夜、寝る前にはすっかり片付けて、何ものっていなかった筈のテーブル。
 なのに今、その中央には美しい曲線を描くガラスの瓶がある。
「・・・・・・悟浄、しかいませんよね」
 こんな物を置いて行くのは。
 そう考えながら八戒は、目の前の異物をほうけた様に眺める。
 異物・・・男二人のこの家には、その瓶はまさに『異物』と言えた。
 さして凝った造りでもないのだが、明らかに女性的な物を感じさせるガラスの器。
 その中には水が満たされ、底にはいくつかのガラス玉が沈んでいる。
「これって、ビー玉ですよね」
 子供の頃に遊んだ覚えのある、小さなガラス玉が朝日を乱反射させ、きらきらと光を放つ。
「でも・・・どうして?」
 水との境目が、その朧げなラインでしか感じられない程に透明なビー玉の中に只一つだけ、その色を異にする物があった。
 辺りを染め上げるかのような、深緑のビー玉。
 それだけが色を持っているのが、何か深い意味があるようで、やけに気にかかる。
コトン・・・・・・
 八戒は行儀悪くテーブルの上に頭を乗せ、間近でそのビー玉を見詰めた。
 ガラスの器の中を薄く色付ける、深緑の塊。
 じっと見ていると、自分までその緑の中に閉じ込められた気分になる。
 何も居ない、静寂の世界。
 己しか居ない、孤独の世界。
 音の無い世界は一見、至極普遍的であり、そして全てを拒絶する。
「なんか・・・」
 ヤ、ですねぇ・・・
 八戒は眉根を寄せると、視線だけ瓶から逸らした。
 そうしていても、頭は相変わらずテーブルの上で、視界の端にはやっぱりガラスの器が入ってくる。
「む〜〜〜・・・」
 しばし横目で睨み付ける。
 それでどうなると言うわけでもないが・・・。
はぁ・・・・・・
 零れる溜息も静寂の中に大きく響き、益々八戒の気を重くさせる。
 それ以上見ていたくなくて、八戒は諦めたように目を閉じた。
 しかし網膜にはあの、薄い緑が焼き付いているようで、このまま寝入った日には確実に悪夢に魘されそうである。
(悟浄もどういうつもりでこんなものを持ってきたんでしょうね)
 少々八つ当たりぎみに考えても、答えが出る筈もない。
はぁぁ・・・・・・・
 八戒は目を閉じたまま、2度目の大きな溜息を漏らした。


「それ、奇麗だろ」
「?!!」
 不意に耳元に流し込まれた台詞に、八戒は思いっきり驚愕した。
「あ・・・悟浄・・・」
「どうした?」
 呆けたように見上げてくる八戒に、悟浄は不思議そうな顔で問い掛ける。
 どうやら風呂にでも入っていたらしく、悟浄は濡れた髪をタオルで拭きながら、首を傾げた。
「なんか、あったんか?」
 あまりに常の八戒らしくない態度に、悟浄は心配そうな顔を見せる。
「いえ、ちょっとぼーっとしていたもので。驚いちゃいました」
 笑顔を取り繕ってそう言えば、悟浄は安心した表情になる。
 八戒と2人だけの時、悟浄の表情はよく変わる。
 普段の作ったような斜に構えた顔が嘘のように、素直な感情を示してくるのだ。
「そっか」
 つられたように笑う悟浄に、八戒は頷いて返す。
 信頼、されているのだろう。
 そう思うと、心の奥底が暖かくなるのを感じる。
 先程の、闇い思考も溶けて消えるようだ。
(あ・・・・・・)
 そう考えたところで、八戒は闇い思考の元凶を思い出した。
「悟浄、これ・・・」
「あぁ、奇麗だろ?」
 上機嫌で応える悟浄に、八戒はそれ以上の言葉が出ない。
「昨日さ、それ見付けてどうしても欲しくなっちまって、オーナーに頼み込んで譲ってもらったんだ」
 本当はディスプレイ用だったんだぜ。
 得意げに言うと、八戒の肩越しにその瓶を軽く指先で弾く。
 反動で中の水がゆらりと揺れ、辺りに落ちた薄い緑色の影も同時に揺らめいた。
「なんかなぁ、これを見てたらさ」
 悟浄は目を細め、嬉しそうに続ける。
「お前のことばっかり思い出しちまってさ」
「え・・・?」
「お前に似てるんだもんよ」
「僕に、ですか?」
 八戒が驚きに目を見開いても、後ろにいる悟浄は気付くことも出来ない。
(似ている・・・?)
「イメージが、な」
 悟浄はそう言って八戒の背中に乗り掛かるように、再び手を伸ばす。
「一個だけ色が違うだろ?他は全部透明なのに。そこがすげぇお前らしくてさ」
 絶対に譲れないものが一つだけあって、しかもそれが周囲に少なからず影響を与えている。
 それが、悟浄の抱いた八戒のイメージ。
 掴み所が無いようでも、内から滲み出るものだけは隠しようがない。
「これ、見てるとさ」
 お前がすぐ側にいるような気になってさぁ。
 帰って来ちゃった。
 押さえ切れないように笑いを零しながら、悟浄は八戒の肩に顔を埋める。
(あぁ、そういう見方もあるんですね)
 八戒は肩から伝わる振動に、ささくれ立っていた心が凪いでいくのを感じた。
 人によって、物の見方はこんなに違うのに。
 たった一言で救われてしまう自分が、なんだかとてもお手軽に思える。
(ま、悟浄だから・・・ですけどね)
 自分に影響を与えてくれるのは、すぐ側にいる『深紅』のイメージを持つ人。
 初めはその色を血のようだと思った。
 そして、燃え盛る焔のようだとも。
 でも、今では悟浄のイメージは太陽だ。
(普段は夕焼けですけど)
 時には真昼の太陽の如く、自分を照らしてくれる。
 出会えて、良かった。
 ずっと・・・出来るだけ、一緒にいたい。
 そう願う自分に、最近漸く慣れてきたのだ。
(でも、人の気も知らないで、この人はふらふらとどこかへ行ってしまうんですよねぇ)
「あ!」
「ほぇ?」
 急に声を上げた八戒に、今度は悟浄が目を見開く。
 そんな幼い表情の悟浄に苦笑をもらしながら、八戒は改めて目の前のガラスの容器を見つめる。
「ねぇ、悟浄?」
「ん?」
 同じ物を見つめても、悟浄のたった一言で、もうイメージが違う。
「僕ね、金魚が飼いたかったんですよ」
「はぁ?」
 あまりにも脈絡のない話に、悟浄の頭の中は疑問符だらけだ。
 そんな悟浄に構わずに、八戒は続ける。
「ほら、丁度良く金魚を入れる器も出来たことですし」
「って、コレのことか?」
 悟浄はガラスの器と八戒の顔を交互に見るが、いまだに話が解っていない。
「大きさも丁度良いですし。午後にでも買いに行きましょうか」
 八戒は楽しそうにそう言うと、軽く悟浄に口付ける。
「な・・・・八戒ぃぃ?!」
「一緒に、行きましょうね」
 薄緑に染まるガラスの器に、真っ赤な金魚を一尾泳がせたら、そこは何色になるだろう。
 ふわりとした尾を持つ金魚は、まさに悟浄のイメージ。
 このガラスの器が八戒の心のようだと言うのなら・・・
(絶対に必要不可欠ですよね)
「朝御飯、作りますからここで待ってて下さい」
 八戒はそれまで自分が座っていた椅子に悟浄を腰掛けさせると、極上の笑みを残して台所に向かう。
「・・・・・・どうしちまったんだ、あいつ?」
 後に残された悟浄は、さっぱり分からないと言う表情で八戒の背中を見送る。
「ま、いいか」
 朱に染まった顔を右手で隠すように覆い、横目でちらりと瓶を見やる。
 楽しいそうなら、それでいいじゃん。
 口の中でそう呟くと、悟浄はもう一つ、ガラスを弾いた。


一条様よりリクエスト頂きました八×浄ですが・・・
『悟浄=房尾の金魚』ってイメージが浮かんだんで、書いてみたら・・・すごく甘い話になってしまいました(爆)
こんなものでも受取って頂けるのでしょうか。でも、謹んで捧げさせて頂きたいと思います(^^;)



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