・・・ 猫にお願い ・・・



 八戒は本日8回目の溜息を吐いた。
 ちなみに時刻は午前9時。
 起きてからまだ2時間程度しか経っていないのに、この回数。
 溜息を一つ吐く度に幸せは逃げて行くと言ったのは誰だったか。
 しかしそんな事を言っていられない光景が、八戒の目の前で繰り広げられていた。
(まったくもう、見ちゃいられませんよ)
 八戒は天井を仰ぎ、本日9回目の溜息を吐いた。


 事の起こりは2日前の夕刻。
 珍しく悟浄が早く帰ったかと思うと、その手にはこれまた珍しく大きな荷物が抱えられていた。
 一言で言えば鞄。しかも上部に取っ手がつき、開閉口は側面にある。いわゆるペット用キャリーバックというヤツである。
 対して悟浄の顔といえば・・・それはもう、これ以上ないってくらい相好が崩れいていた。
「・・・悟浄、それは何ですか?」
 正直な話、八戒は訊ねたくなかった。
 鞄の中身なんて見なくても解かる。サイズから言っても小型犬か猫。そして鞄の色や形や小さな小物のディテールまで、元の持ち主が女性だった事は決定的である。
 打出された推論は“悟浄が知り合いの女性からペットを押し付けられた”という、まったくありがたくないもので。
 しかしそんな八戒の心中を全く察しない様子で悟浄は鞄からソレを引き摺り出し、にっこりと笑って言ったのだった。
「美人さんだろ?美鈴っていうんだ」
 悟浄に抱かれた黒猫が、返事をする様にミャオンと鳴いた。


 翌日、どうにか悟浄から聞き出した結果、その黒猫は酒場の女主人の飼い猫で、彼女が1週間ほど私用で留守にする為に猫の世話人を探していたところを悟浄が引き受けた・・・ということまでは判った。
 だがしかし!
「どこに悟浄が引き受けなきゃならない理由があるんですか」
 八戒の疑問は尤もである。悟浄でなくてもその酒場の従業員やら他の客やら、適任そうなのはいくらでもいる筈だ。
 だがそれに対する悟浄の答えは、至極簡潔であった。
「だって、一目惚れだったんだもん」
 ね〜、と猫に向かって首を傾げる様はお釣りが来るほど可愛いが、それとこれとは話が別である。
「一目惚れって・・・猫にですか?」
「そう」
 眉間に皺どころかこめかみに青筋まで浮かべて問う八戒に、悟浄は当然という顔で答える。
「毛色といい艶といい絶品だし、スレンダーでシッポが長いところなんて超俺好み!しかも美鈴は頭も良いんだぞ」
 呆れるくらいの猫バカっぷりである。しかしこれでいて悟浄は大変真面目なので、余計始末におえない。
「美華のトコ行く度に、羨ましくってさぁ。店は煩いからあんまり出て来てくれないし」
 ちなみに美華というのは女主人の名前である。
「でもこれから1週間も一緒にいられるんだよな〜♪」
 満面喜色の悟浄は確かに可愛い。
 八戒としても猫の1匹や2匹連れ帰ったとて許してしまいたくなる。
 しかし物事には限度ってものがつきもので。
「だからって・・・」
「ん?」
「だからって!何もお風呂やベッドにまで連れ込まなくてもいいでしょう?!」
 そう。悟浄は帰って来てからというもの四六時中べったり猫と一緒なのだ。それこそお風呂も一緒寝るのも一緒♪ってな具合に、示し合わせた様に一人と一匹はいつも一緒にいるのである。
 ちなみにその間、悟浄は全くと言ってイイほど八戒に構ってくれない。
 猫に嫉妬するのも馬鹿馬鹿しいとは思いつつも声を荒げてしまう八戒に対し、悟浄はその赤い目を見開いて、さも意外な事を言われたかの様にこうのたまったのだった。
「なんで?」


 明けて3日目。
 つまりは八戒が朝から9回もの溜息を吐いた日である。
 目の前ではソファに寝そべった悟浄が、胸の上で寝ている美鈴を愛しげに眺めている。
 そして時折、優しくその背をゆっくりと撫でてやる。その様は、見ていてもう・・・ベタ甘。
 結局昨夜は悟浄のあんまりなセリフに打ちひしがれて、呆然としている内に猫と一緒に寝室に入られてしまった。従って八戒は猫が来てからというもの、悟浄に全く手を触れていない状況だ。
 はたしてそれで八戒が黙っているかというと、答えは否。
 八戒は10度目の溜息を押し殺すと、代わりに拳を握り締め、ソファへと近付いた。
「・・・悟浄」
「ん?」
 返事をした悟浄がこちらを向くよりも早く、片手で猫を攫い投げる様に床に置く。
 そして間髪入れずに、今度は自分が悟浄の胸の上へと乗り上げた。
「何だよ。重いなぁ」
 始めはいきなり猫を取り上げられた事に理不尽にも怒りそうになった悟浄だったが、常にない八戒の様子に思い止まった。
 その間にも八戒はごそごそと身動ぎ、漸く悟浄の胸へ頭を乗せる形で落ち付くとそのまま微動だにしなくなる。
 その様は、つい先程まで己の上に乗っかっていた猫と全く同じで、悟浄の苦笑を誘った。
「おい、八戒・・・」
 囁く様に呼びかけ軽く髪を引っ張るが、八戒は全く動かない。
「・・・八戒」
 悟浄がもう一度髪を引っ張ると、今度はもぞりと頭だけ動かした。
「八戒」
「ここは僕の場所なんです」
 それだけ言うと、また額を胸につけて動かなくなる。
 世にも珍しい、拗ねる八戒である。
「八戒、美鈴が拗ねて向こうに行っちまったぞ?」
「いいんです」
 子供のような断言しかしない八戒に、悟浄は呆れて溜息を吐く。
「なに猫と張り合って、縄張り争いみたいなことしてんだよ」
 縄張り争いみたい、じゃなくてまんま縄張り争いである。しかもその縄張りは悟浄の身体。
「猫になんか負けられませんからね」
 八戒はぼそりと呟くと、再び頭を動かした。
 そしてぺろりと悟浄の鎖骨を舐め上げる。
「っ!?」
 ビクリと身体を竦めた悟浄にニヤリと笑い、今度はもう少し伸び上がって首筋を甘噛みする。
「八戒っ!」
 慌てる悟浄の両腕をしっかり押さえ、八戒は僅かに身体を離すと、挑む様に悟浄を見据えた。勿論その口元には意地の悪い笑みが貼り付いている。
「猫じゃ絶対に出来ないことを、してあげますよ」
 そりゃぁ猫はこんなことはしないだろう・・・などと悟浄が密かに思っているうちに、上着が肌蹴られあちこちに甘噛みされていく。その手際ときたら見事なもので。
「なんかさぁ」
「はい?」
「大型の獣に犯されてるみたい」
 抵抗らしい抵抗すら出来ずに呆然と悟浄が呟くと、八戒は咽喉を鳴らして笑い、肉食獣よろしくその口元を舐め上げた。


「だるぅ・・・」
 結局思う存分イイ様にされ、ソファから動けなくなった悟浄は相変わらず寝そべっていた。
 そしてその傍らには悟浄の髪を手慰みに、情事の余韻を楽しむ八戒の姿が・・・
≪たしっ≫
「っ!?」
「あ、美鈴・・・」
 いつの間にやら戻ってきた美鈴が、再び悟浄の上で寝ようというのかその前足を悟浄に掛けたのだ。
 しかし今度は八戒がいる為に、その場所でくつろぐ事が出来ない。
 よって美鈴は前足で悟浄を踏んだまま、八戒の方へ『退いてよ』という視線を送っていた。俗に言うガンつけである。
「この猫・・・」
 猫相手に真剣に睨み返してしまうほど、今の八戒には心の余裕というものがなかった。いや、ないのは人としての尊厳の方だろうか。
「絶対に悟浄は渡しませんからね!」
(おいおい、冷静になれよ・・・・・・)
 すっかり猫と同レベルで自分を争う同居人に、悟浄は呆れを通り越して物悲しいものまで感じてきた。
 しかし八戒は大真面目である。
 睨み合う2匹・・・もとい1人と1匹を前に、悟浄は『ケンカは、やめて〜♪』と歌い出しそうになる自分を止めるのに必死だった。


 八戒 vs 美鈴。
 闘いの終結まで、後4日・・・・・・。



バカっプルというよりは、ただ単にバカな話になってしまった・・・。
命様より35000HIT記念でリクエスト頂きました、『小動物に嫉妬する八戒』でございます。
お題はクリアしたと思うのですが・・・命様、どうか受け取ってやってくださいましね(^^;)
ちなみに猫の名前は『美鈴(メイリン)』、女主人の名前は『美華(メイホワ)』と読みます。いや、ちゃんと合ってるかどうかは謎ですが(爆)



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