■ 見えないキモチ ■



 肌を舐めるような冷気に、ぞくりとした。
 洞穴の湿った空気が身体にいいとは思わない。それでも、ここを動くわけには行かなかった。
 今、八戒の瞼は白い包帯で覆われている。
 こんな旅を続けていれば少々の怪我なんて日常茶飯事だし、それ以上の―――死地をさ迷うような怪我だって少なからず負った事もある。
 だから、今更。
 2〜3日もすれば完全に回復するって、薬師の姉ちゃん(気が動転してて、名前が思い出せねぇ)の保証付きなのに。
「なぁ、痛んだりしてねぇ?」
 八戒の目が俺を映さないってだけで、えもいわれぬ焦燥に狩られる。
 焦燥?いや、違うな。不安というよりも、不満に近い感情かもしれねぇ。
「大丈夫ですよ。薬が効いているみたいですし」
 目が見えない分、安心させようとでもするみたいに僅かに上がった口角が、やけに気に掛かる。こんなことになっても尚、微笑う八戒。
「悪ぃ。俺のせいで・・・」
 そう。事の発端は悟浄を庇った八戒が、敵の撒いた毒粉をまともに被ってしまった為だった。
 幸いにして粉の殆どは気の障壁で防げたものの、やはり完全には防ぎきれなくて。
「悟浄のせいじゃありませんよ」
 いつもと同じ、穏やかな口調。
 それは俺を気遣うというよりも、いっそ突き放して聞こえる。
「防ぎ切れなかったのは僕が甘かったからです。それに、視力の方は問題なく戻ると言っていたじゃないですか」
 だから悟浄が気に病む必要はないんですよ。
 そう言われて、何にもできねぇ自分に苛ついた。
 体が動いたのは、無意識。
 苛立つ気持ちが先立って、自分の手が八戒の襟首を掴んだのさえ気付かなかった。
「ざけんなっ・・・!!」
「悟浄?」
 不思議そうな八戒の声音。
 包帯の白さが『何か』を駆り立てる。
「治るっても何日か先のことだろ?今、見えねぇのには変わんねぇだろ!こんな時に敵が来たりしたら・・・」
 違う、言いたいのはこんな事じゃない。
 関節が白くなるほどに握り締めた拳が、目に入る。
 本当に敵が来たとして、俺はこいつを守れるか?
 普通の敵ならいい。それなら八戒抜きでも余裕だろう。
 だが、万が一・・・・・・。
「敵が来たら、足手纏いになっちゃいますねぇ」
 場違いなほどに明るい、笑いを含んだ声に我に返った。
「ある程度は何とかできると思うんですが・・・」
 一応気配も読めますし、気孔も使えますしね。
 暢気に言う八戒には、焦りや不安は見えない。
 俺ばかりが気が小せぇみたいで、妙にムカツク。
「あぁ、そう。見えなくてもナントカなるワケね。絶対だな?」
 荒い語調も隠さずに言い放ち、勢いのままに口唇を奪う。
 一方的な、噛み付くような口付け。
 乱暴な行為の中で襟首を掴んだ両手も離さぬままに、八戒の腹へと膝を当て体重を掛ける。
「ごじょっ・・・!」
 そうすればあっさりと、八戒の身体は地面に倒れた。
 そのまま八戒の腹の上に馬乗りになり、完全に動きを封じる。
「悟浄、急に危ないじゃないですか」
 いまひとつ緊張感に欠ける抗議の声を無視し、八戒の左胸へと手を置いた。
「ウソツキ」
「悟浄?」
「こんなにあっさり押さえ込まれて、何が大丈夫だよ」
 理不尽なまでに怒りを滲ませた言葉に、八戒の動きが止まる。
「それは・・・」
「俺だから、とか言うなよ」
 先回りして言葉を封じる。こいつの言うことなんざ、高が知れてる。
「気配で判るってのは本当だろうよ。だがな、見えるようになるまで四六時中気ぃ張ってるワケにもいかねぇだろ」
 絶対に大丈夫なんて信じない。『絶対』がどんなに不確かなものか、俺はよく知っている。
 そこまで考えて、俺はこの苛立ちの理由にやっと思い当たった。
(そっか・・・八戒を失うのが、怖いんだ)
 あっさりと、それこそ微笑いながら死んで逝きそうなこいつが、俺の隣からいなくなるのが。
(ヤだなぁ・・・俺って女々しい・・・ってか、カッコ悪ぃ)
 うっかり滅入りそうになるのを無理矢理留め、八戒の胸に置いたままだった右手に体重を乗せる。
「悟浄・・・っ!」
「ウルサイ」
 伸び上がって、包帯の上から瞼の位置を舐め上げる。
「悟浄・・・・・・オイシイですか?」
「あんまり・・・ってか、マズイ」
 何度も何度も、包帯が唾液で湿って下の油紙が透けて見えるまで舐める俺に、八戒が問うた。
 それに率直な感想を返し、空いていた左手で八戒の前髪を掻き上げ、再び舌を伸ばす。
「あの・・・悟浄?」
「何?」
「あんまり舐めると、中の薬が染み出ちゃうかもしれませんよ?」
「ん〜・・・それはやっぱり拙いか。でもナンか、もう舌がバカになってるっぽいけど」
「だったら・・・」
「でもさ」
 尚も言い募ろうとする八戒の言葉を、無理矢理遮る。
「こうして舐めとけば、早く治りそうな気がしない?」
 ホント、気だけだけどさぁ。
 我ながら馬鹿な事を言ってると思いつつも、何となく止められない。
「包帯の上からじゃ、殺菌も何もないと思うんですけど」
「だから気だけだって言ってるじゃん。オマジナイってやつ?」
「なるほど」
 妙に感心したような八戒の声が、馬鹿にされたようで悔しいけど。
「舐めて治すなんて、なんだか動物的ですね」
「どうせケダモノだよ」
 八戒の声に、いつもの調子が戻ってくる。
 ただ、さっきと決定的に違うのは、ささくれ立っていた俺の気が凪いでいるコト。
 右手に感じる、八戒の鼓動が心地好い。
 寄り添う時よりもほんの少し強く感じるその拍動に、触発されたかのように悪戯心が湧き上がる。
 自然と浮かんだ笑いを隠さずそのまま身体を近付けて、八戒の耳朶を甘噛みした。
「悟浄っ」
 あぁ、また心臓の音が早くなる。
 ナンだか『生きてる』ってカンジでイイじゃん?
 たったこれだけのことで、八戒をここまで焦らせるコトが出来るのも、俺くらいでしょ。
 楽しくて愉しくて。零れる笑いに言葉を混ぜて、八戒の耳へと落としてやった。
「あのさ、もっと効くオマジナイ・・・してやろうか」
 咽喉の奥で、笑いが転がる。
 俺ってこんなに気分屋だったっけ?コロコロ変わってんじゃねぇか。
 でもそれも、コイツ絡みだからだよなぁ・・・。
「悟浄?」
 笑い続ける俺の首筋に、八戒の指先が触れる。
 幾分低い体温が気持ちイイけど、そんな確かめるみたいに触るなよ。
 やっぱり見えてなきゃダメじゃねぇか。
 だからその包帯が取れるまで、こうして側にいてやるよ。
 でも、油断するなよ?俺のキモチは、猫の目の様に変わりやすいから。
 そんなに長くは待ってやれない。
 ソウイウコト、伝わる?

 八戒の指の冷たさに目を閉じて、伝わればイイと思いながら口を開いた。

 『オマエノ瞳デ、見ラレタイ―――』



月水蒼樹様に捧げます、28282HIT記念駄文です。
お題は『目の見えない八戒』。直球勝負でこなしましたね(--;)
個人的テーマは『舐める悟浄』。はたして気に入って頂けるのでしょうか。
う・・・受け取ってくださいましね(^^;)


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