― 人為らざる者 ―



「八戒ぃ」
 ほんのりと甘えを含んだ声音で、悟浄がその名を呼んだ。
 振り向けば、情欲の焔がいまだ冷め止まぬ瞳のままにこちらを見詰める悟浄の顔がある。
「はい?」
「羽根、見せて・・・」
 その言葉を聞いた瞬間に、またか、と八戒は思った。
 悟浄は八戒の翼を見るコトを好んだ。特にこうした、情事の後には。
 僅かに掠れた声が、艶を消せぬままに強請る。
 いや、強請ると言うほどには媚を含まぬその声が、彼の気性を表しているようで八戒の苦笑を誘う。
 それでも断る理由も見付からず、八戒はベッドの縁に腰掛け直すとその背を軽く曲げた。
バサ・・・
 鳥の羽ばたきにも似た音の後に、その部屋を覆い尽くすほどの漆黒が広がる。
 エーテルの濃度を上げ物質化したその翼は、圧倒的な威圧感を持って夜闇の世界を支配した。
 闇い、暗い・・・闇よりもなお重き黒の翼。しかしてその両翼は艶やかなる輝きを以って、不可侵の神聖さを誇示する。
「キレイ、だよなぁ」
 はらりはらりと舞い落ちた、1枚の羽根をその手に受け、悟浄は夢見る様に呟く。
 2本の指で挟み持ち、くるりと回せば風を切る。完全に物質化された羽根は、悟浄の手の中で消える事はない。
 暫しその様を眺めると、悟浄は四つん這いでその背に近付き、くるりと身を入れ替えて背中を合わせた。
「悟浄?」
 そうされてしまえば、八戒からは悟浄の姿が見えない。
 ただその背に感じる熱だけが、悟浄の存在を知らしめる。
 背中越しに伝わる、愛しい、熱量。
 目を閉じれば簡易的な結界となった両翼の間に、彼を『視る』ことが出来る。だが、そうしてしまうのが何故だか惜しく、八戒はただその熱を肌で追った。
 悟浄は何も語らない。
 時折風を切る音が、彼の手に羽根がある事を教えるだけ。
 そうして静かな時間が、互いの間を流れた。

 
「悟浄、あまり無茶をしないで下さい」
 沈黙を破る声は、八戒の方から発せられた。
 不意に悟浄の手が伸ばされ、八戒の翼を引き寄せたのだ。
 別段背に痛みが走るわけでもないが、八戒はやわりと制止の声をあげた。
「悟浄」
「いいじゃん・・・」
 一向に手を離そうとしない悟浄に再び声を掛ければ、拗ねたような声音が返る。
「悟浄・・・?」
 しなやかな翼は悟浄を覆い、その姿を隠そうとする。
「こうしてるとさ」
 八戒と背を合わせた悟浄の目には、その翼が己の身から生じているようにも見えた。
「俺の羽根が、黒くなったみたいで―――」
 決して、己が持つ事はない漆黒の翼。
「ちょっとだけ、イイカンジなんだよ」
 堕ちる事を望んでいるわけではない。
 ただ、今は見る事さえ叶わぬ己の翼が、あの色以外のものを宿せるのならそれでも良かった。
 悟浄は手の中の羽根を、強く握り締める。
 それだけが、己を繋ぎ止める術だとでも言うように・・・。


 八戒は『黒い翼が欲しいのか』と訊くことはなかった。
 それが無意味だという事を、彼は誰よりもよく知っていた。
 だから悟浄が不安定になる度に、同じ言葉を繰り返す。
「僕は、悟浄の翼も好きですよ」
 その翼がどんな色を持とうとも、彼の本質は変わらない。
 そもそも不可視の存在である筈の自分たちが、外見に拘る事こそ愚かしい。
 見目がどうであろうと、悟浄が天族であり天上の焔であることに変わりはない。己のこの身に、魔族の血が流れているのと同様に。
「アナタの翼が何色でも、僕はアナタの事が好きですよ」
 何せ一目惚れですからね。
 八戒は笑いながら、僅かに重心を後ろに下げた。
 重い、とぼやきながらも、悟浄はその背を離そうとはしない。
「ホント、恥ずかしいヤツだよなぁ」
 悟浄は八戒の背を押し返す。まるで均衡を保つように。
「それに」
 保たれた均衡はいつしか崩れるだろうが、それはまだ先の事だ。
「変に天使らしくないところも気に入ってますよ」
「なんだよ、それ」
 悟浄の声音に、明るさが戻る。
 そのことに安堵する自分に気が付き、八戒は自嘲する。
「天使らしくない天使と、悪魔らしくない悪魔とで丁度イイじゃないですか」
 思ってもいない事を口にするのに、何の躊躇いもない。
 聖骸布を肩に掛け、胸に十字を掲げても、所詮この身は背徳者だ。
「嘘吐け」
(えぇ、本当に・・・)
 悟浄の声に、己の内なる声が重なる。
「お前ほど悪魔らしい悪魔もいねぇよ」
(貴方ほど、『天使らしい天使』も、ね)
 だがその言葉はおくびにも出さずに、偽りの時間を紡ぎ続ける。
「酷いなぁ」
 作られた笑顔は、いつしか本物になるだろうか。
「本当のコトだろ」
 造られたこの世界を、いつしか壊す事が出来るのだろうか。
「どう言われようとも、僕が悟浄を好きという事実に変わりはないですけどね」
 意地の悪い笑みを浮かべ、八戒は目を閉じる。
 全てが偽りならば、偽りこそがまた真実。
「も〜〜〜、羽根布団は黙ってろ!」
 悟浄は手の中の羽根を離さぬままに、瞼を落とす。


―――そして、偽りの世界で二人は、微睡みの中へと沈んで行った―――




緋月様に捧げます、20000HIT記念駄文でございます。設定的には物置の<序文>と、6月4日の寝言にある通りです。
八戒さんは悪魔で牧師で悟浄を拾って、悟浄は天使で羽根まで真赤だけど封印されてて・・・ってことで!
細かい説明を入れると収まらないので、随分と不親切な作りになってしまいましたが、こんな物で宜しければ受け取ってくださいませ(T△T)



+ Back +