― 言 葉 の 行 方 ―




「嫌いだよ」


『僕の事、どう思ってますか?』
 不意にそんな事を訊かれたから、正直に答えてやった。
「身体の相性はイイと思うけど、個人的感情から言えばキライ」
 そう言えば八戒は驚いた様にこっちを見た。まるでそんな答えを予想していなかった様に。
「個人的感情ですか…難しいコト言いますね」
「そうか?」
 数瞬の逡巡の後に吐き出された言葉は、実にヤツらしいものだった。だから俺も、軽い調子で受け流す。
「でも、身体の相性は合格?」
「それだけじゃ、不満?」
 ニヤリと口端を歪め、はぐらかす様に表情を作る。
「なら、身体の相性だけは『サイコー』ってコトにしておいてやるよ」
「それも何だか……複雑ですね」
「喜んでおけよ。『ベストオブHの相手』ってね♪」
 笑う振りをして八戒の顔を見ないように、さりげなく席を立つ。
 一瞬だけ見えた八戒の、その痛みを堪えるかのような視線から、逃げるように……




「ふぅ…くっ……」
 いつまで経っても慣れない圧迫感に耐えながら、震える咽喉から搾り出すように息を吐く。
「悟浄」
「ん……」
 八戒の指が内壁を擦り、時折曲げては中を押し広げる。その緩やかな、入り口を解きほぐす感触に背筋が粟立ち、自然と下肢に力が篭った。
「力を抜いてください、悟浄」
「っ…ムリ…ぁア!」
 入り口に感じた、滑る感触に悲鳴にも似た声を上げ、余計に身を竦ませる。
 唾液を指に乗せ、それを奥へと擦り込むように繰り返される抽挿に、耐えきれずシーツに歯を立てた。
 労る様に慣らされ、それでも征服される為の行為は、悟浄の中の何かを壊す。
 プライドとか矜持とか、そういった明確なものではない。手繰り寄せようとすれば泡沫の様に弾けて消える、そんな正体の知れない『何か』。
 それが、グズグズと音を立てて熔け崩れて行く。
「ゥヴ……ッンン」
(……熱い)
 クチュリ。どこか遠くで、湿った音が谺する。
(熱い―――)
 こんなに乾上りそうなほどに熱いのに、身の内から零れるのは濡れた音ばかり。
 ただ、砂漠で水を求める旅人のように、この渇きを癒してくれるモノをひたすらに待つ。
「――悟浄」
「ぁ…はぁっ……」
 口唇を撫でられ、誘われるように開けば、指先が歯に触れた。
 女とは違う平らで固い爪。それを食む様に軽く歯を立てれば、背後でクツリと咽喉が震える。
「悟浄…欲しい?」
 揶揄うような声音が首筋に落とされ、応えを待たずに甘噛みされる。
 ヒクリと咽喉が鳴るのは、歯の下にある血の道筋を経たれる恐怖か、これから訪れる悦楽への期待か。
 思考が焼け付き、空回りしている。
 だからこそ、その言葉に身も世もなく頷けば、潤む入り口に灼熱の塊が押し付けられた。
「はっ…かいぃ……」
 だがそれは、一向に悟浄の中に押し入る気配も無く、その熱さだけを悟浄に知らしめる。
「じら…す、なよぉ……」
 視界が霞む。
 フラッシュを焚かれた様に、意識がスパークする。身体は限界を訴えるのに、達くコトが出来ない。
 ソレが与えてくれる快楽だけが……悟浄の思考を支配した。
(欲シイ)
 ただ一つの言葉が、悟浄を満たす。
「八戒ぃ……」
 甘えの混じる強請る声音でその名を呼べば、待ちわびた先端だけが含まされた。
(欲シイ―――)
 内なる声の囁くままに、悟浄は淫らがましく秘蕾を蠢かし八戒を促がす。
(コレを、最奥で感じたい)
 肉欲の塊に成り果てて、全てを壊して。
 意識も感情もない、ただの本能に立ち返って。
 クチュリ。湿った音が、悟浄の情欲を更に誘う。
 持て余した熱が、悟浄を狂わす。だが、八戒はそれ以上動こうとしなかった。
「…な…んで……」
 零れる滴を拭おうともせずに振り向けば、酷薄な視線が悟浄を射貫いた。
「悟浄は快楽を与えられるのが好きなんでしょ?なら、『身体の相性がサイコー』の僕としては、長く愉しませてあげるのが礼儀だと思いまして」
「な…っ!」
 嘲笑の薄く貼りついた唇が一瞬後には肩先に埋められ、跡が残るほどにキツク歯が立てられた。その痛みに息を呑む。
 身体に力が入れば、必然的に中の八戒を絞め付けることになる。
 リアルに感じる熱と、カタチ。
「悟浄」
「…っン……」
 熱い吐息と共に、己の名が落とされる。
「悟浄―――」
 その口唇が背筋を辿る度に、ナカのモノが角度を変え、更に悟浄を苛む。
 溜息の様に繰り返される名前が、悟浄の思考を奪う。
 だから八戒は、悟浄の瞳から理性の光が消えるのを待って……その言葉を囁いた。
「悟浄、僕のコト………キライですか?」
「ん…ぁあ……」
「アナタの口から聴きたいんです。悟浄、答えて」
「…んぅ…ヒっ」
「悟浄っ!」
 焦燥に駆られた言葉が、悟浄の背に突き刺さる。
「アアァっっ!…ァ……ァァ」
 最奥まで突き上げられ、揺すられて、飛びそうになる意識を悟浄は必死に手繰り寄せた。
「悟浄……」
 いつのまにか仰向けにされた胸に、八戒が首を垂れる。
 悟浄からはその表情は見えない。だから、その胸に感じた熱い雫も、悟浄は気付かない振りをした。気付いたからといって、自分には何も出来ない。彼の為に用意された言葉は、たった一つしかないのだから…。

「悟浄」
 律動に支配される空気の中で、悟浄は最後の理性でその言葉を舌に乗せる。
 細心の注意を払って。決してその本心を悟られない様に。
「ヤぁっ……キラ…イ……」
 熱に浮かされ、それが無意識からの言葉だという様に。
 きつく閉じた瞼の裏側に、八戒の表情が残像となって映し出された。
 痛みを堪える、絶望にも似た表情。その色が憎しみに彩られこの身を引き裂こうとも、悟浄は彼が望む言葉を言ってやることは出来ない。


―――兄貴も母さんも…皆いなくなっちまった。
(だから『好きだ』なんて、絶対に言えない)


 言えない言葉の代わりに、悟浄は八戒を抱き寄せた。




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