† 視 線 †



―――雨は、嫌いだ、と悟浄が思う。

八戒と暮らし初めて、もう一年あまりが過ぎようとしていた。
時を形で表すかのような、収まりの悪い長さの自分の髪をがしがしとかき混ぜた。
ち、と舌打ちをする。
「…降ってきちまった」
雨が降る前に、俺は外出するつもりだった。八戒を残して。
俺は雨が嫌いになった。
雨が降ると、必ず、八戒が自分を抱きにやってくる。
初めの内は、壊れそうな八戒が一方的にすがりついてきて始まった行為だった。だが俺の方はそれなりに行為を楽しんでいた。もともと相手は男女構わずで、セックスにタブーはないほうだ。
目を閉じれば、盲目の暗闇に雨音だけが響く。
それはパブロフの鳴らす鈴の音のような。
鈴が鳴れば餌を求め涎を垂らす犬のように、雨音と共に八戒に抱かれ、快楽を求めることに慣れてしまった、この身体。
条件反射ってヤツ?
屋根を叩く雨音に、身体の奥に情欲の熱がたまり出す。
別にそれはいい。快楽に耽り落ちていくことに抵抗はない。
だが…
――あの、翠の瞳が嫌いだ。
八戒の何もかもを見透かすような、透明な、あの翠。
俺はあの瞳が嫌いだった。
コンコン。
雨音を縫うように響いてくる、ノックの音。
――ほら、来た。
返事を待たずに開かれる扉の向こうには、たおやかな微笑みを浮かべた八戒が立っている。
「…どうした?」
「イイお酒が出てきたんですよ。いかがです?」
八戒の手にあるのは、酒瓶と数種類の惣菜。…そして、二つのグラス。
俺が黙っていると、沈黙を了解ととったのか、八戒はにっこり笑って目の前に腰を落とした。
グラスが傾けられる。
たあいのない話。
時折訪れる、沈黙。
別に特別なことじゃないが、それらのすべてが心地よい。
だが不意に、不自然な沈黙が場に降りてきた。
「どしたよ?」
「…ああ、すみません」
酒に酔ったところなんか見たことのない、この酒豪の同居人は、グラス一杯も飲んでいないくせに潤んだ目を向けてくる。
その目は俺を見ていない。
俺の四肢を、眺めてる。
「…お前ー。何考えてる?」
「何だと、思います?」
「エッチなことだろ、どーせ」
「…あたりです」
くすくす、とおかしな笑みが俺と八戒の間に降りてくる。
なおも這わされる、八戒の視線。
ぞくっと、俺の身体に何か衝動のようなものが走り抜ける。
俺は今、丸裸にされている。
「…ねえ、悟浄? 今僕の頭の中で、貴方がどんな風にされていると、思います?」
「知るか」
「じゃあ、想像してみてください」
精一杯冷たく返したにも関わらず、にこりと向けられる、人の良さそうな笑顔。
だが瞳はいやな色に揺れている。
俺は突っ張るのを諦めて息を吐いた。
「そうだなあ…、ハダカ?」
「そうですね。一糸纏わぬってやつでしょうか」
「それで、お前の望むとおりに、動く俺?」
「そうそう」
にやにやと…八戒の笑みが深くなる。
だがそれ以上なにもしかけてこようとはしなかった。
笑う、八戒。這わされる、視線。
たぶんこいつの頭の中で、俺は霰もない声をあげながら、犯されているに違いない。
どんなに今ここで俺が抵抗しても、八戒の中の俺はどうすることも出来ない。
ぞっとする。
ぞっとすると同時に、ずくり、と俺の身の内で何かが首をもたげた。
先ほど感じた衝動より、もっと強く、抗い難い強さをもった、それ。
俺の手からグラスが滑り落ちるのと、八戒が自分のグラスをベットサイドのテーブルに置いたのは、殆ど同時だった。
「あ…?」
「ようやく、効いてきました?」
軽い催淫剤なんですけどねー、と八戒がにべもなく宣った。
「てめー…は、よ。こんなもん使わなくったって、俺がお前を拒んだこと、あったかよぉ」
この熱さは、たぶん薬のせいじゃない。
あちこちでいろんなアソビをした俺には、イマサラなんちゃって媚薬程度の薬は効かない。
なのに
「ヒッ」
「ああ…随分と感じやすくなるものなんですねえ」
「あ……はァ…っ」
服の上から腰を抱かれ、背中に手を這わされて、俺は声を上げた。
「拒まれたことはありませんけど…」
最近、僕も余裕がでてきましてね、と吐息で八戒が囁く。
「衝動のまま貴方を貧ることしか考えていませんでしたけど、最近はじっくり、貴方を楽しみたいと思いまして」
「変態」
あはは、と八戒は笑う。だが、瞳は淀んだ熱に浮かされていた。
「灯は落としませんよ」
「…好きにしろ」


ひくり、と悟浄の喉がそる。
背後から責めたてる僕の肩に頭を擦りつけるようなその仕草は、どこか甘えているように感じられる。
鼻にかかった声を一際高く上げて、悟浄は僕の手を濡らした。
「綺麗ですよ…」
耳に吐息を吹きかけるように囁くと、荒い息の下から馬鹿野郎、と呟く声が聞こえた。
悟浄らしい言葉に、僕は笑う。
悟浄の内側に埋め込んだままだった自身を引き抜くと、微かに身を震わせ、くたりとベッドに伏し、沈みこんだ。
本当に、綺麗だ。
うなじに絡みつく髪は肩まで流れ張りつき、淫媚な流れを形作る。
なだらかなカーブを描く背中のラインは触れても触れても、飽きることがない。
すんなりと伸びた手足が、僕を誘う。
僕は悟浄の内股を濡らしているものを少し指先で掬いとった。
悟浄の身体が、ひくりと揺れた。敏感な…身体。
見ているだけでくらくらする。
「悟浄…腰、あげて」
「ん…まだ…?」
潤んだ、紅の眼差し。
これに射抜かれると、僕の欲はどうしようもないくらい、高ぶる。
のろのろと…悟浄が腰を上げる。薬のせいか、酷く従順に、悟浄は僕の声に応じた。
上半身はベッドにしがみつき、腰だけを淫らに持ち上げる悟浄に、喉が知らずに鳴った。
「ァ……はっか…ぃ」
甘やかな悟浄の声の、語尾がとろけて耳をくすぐる。
じっと眺めていると、悟浄の奥口がひくひくと震え…僕が悟浄の中に吐きだしたものが流れ出し、腿を伝う。
すぐにでもそこに突っ込んで、思う様貪りたい。
だがゆっくりと愛でる楽しみもまた、捨て難い。
「いやらしい、身体してますね」
つう、とそこを指でなぞると、悟浄のそこは指を喰おうと震えたが、その望みを叶えず、僕は身体を離した。
「やめ……ッみ…てんじゃ…ね…ェ…!」
言葉を裏切って、悟浄の腰が揺れている。
「恥ずかしいんですか?」
首を捻って僕の方を睨むその目は、悔しげに燃えていた。
「それとも、見られてるだけで感じちゃいます?」
飲みかけで放ってあったグラスをとると、僕は一口酒を飲み、一口口に含んだ。
悟浄のそこに舌をはわせ、含んだ酒をぬりこめてやる。
酒で熱した舌の熱さにか、悟浄の身体が波打った。
悟浄がすがりついたシーツがひきつれ、まとわりつく。
「…ぅ……あ…」
「美味しいお酒でしょう? もったいないですから、ちゃんと飲んでくださいね」
ぴちゃぴちゃと…酒を塗りこめそそぎ込むと、悟浄が堪らないと、淫らに全身をくねらせる。
「熱……も…ヤだ…っ」
「もう?」
舌を離し、代わりにずっ、と指をいれてかきまわしてやると、悟浄の身体が跳ねる。
達ったばかりだというのに、悟浄の自身は快楽を示し震えていた。
「欲しいんですか?」
なおもそこを指で滅茶苦茶にひっかきまわすと、悟浄はくぐもった声をあげた。
耐えきれなくなったのか、自分の前に手を伸ばした。
顔はシーツに押しつけ、腰は高く掲げられ…
「淫乱」
「ぅる…、せぇ…っ」
後ろは僕の指に犯され、前は自分の指を絡ませる。
反る背筋も乱れる髪も震える脚も全てを僕の眼下に晒し、悟浄は自分の指で艶やかに乱れていく。
「う……、はあ……んっ」
くちゅりと悟浄の下肢が発する微かな音。その隙間を縫うように上げられる、鼻にかかった、声。
ともすれば切なげな、苦しげな表情にも見えるのに、悟浄の唇からこぼれる声は驚くほど甘やかだった。
淫らだ。
「悟浄…」
煽られる。
白いシーツの上、白い灯の下、僕の前で悟浄は艶やかに…そして例えようもなく淫らに、快楽に落ちていく。
悟浄の媚態にあてられ、我慢の効かなくなった僕は、絡み付く媚肉を振り切り勢いよく指を引き抜いた。
そして節操なく高ぶった自身で、悟浄を深々とうがつ。
「ひっ…、ア―――…」
尾を引く、嬌声。
挿れると同時に、その衝撃に悟浄が絶頂に自分の手を濡らした。
放出に急激にきつくなった締めつけに、危うくもっていかれるところだった。
「トコロテン、ですか…。ちょっと元気すぎですよ」
「ば…か…はっかい……」
顔をのぞき込めば、悟浄の目元が恥じらうように紅く染まって色っぽい。
アルコールのせいかますます熱く僕を絡めとる悟浄の内壁に、僕はやられそうになる。
緩く、もどかしいくらい緩く、悟浄を繰り返し突き上げてやると、またすぐ悟浄が反応を返してきた。
熱い濡肉が絡みつき吸いつき、僕を喜ばせる。
「感じてますね…」
「…おま…こそ…、見てるだけで…、コーフンしてじゃ…かよ…」
図星。
苦しげに首を捻り自分を見る紅い目が、微かな笑みを含んでいた。
確かに、悟浄を見ているだけで、イきそうになる自分がいる。
だけどそれだけでは、荒ぶるこの熱を沈めるには全然足りない。
「…うるさいお口は、ふさいじゃいますよ」
悟浄の顎をとると、無理な姿勢から強引に唇をあわせた。
挿れたままの接吻は、ひどく熱い。
震える悟浄の身体を抱き締めて熱を待つ最奥を抉るように突き上げると、髪をふり乱し恍惚とした表情を見せる悟浄に、言いしれぬ幸福を感じる。
不規則な律動に、悟浄の身体が波打ちたまらないと紅い目で睨まれる。
もう、ぎりぎりだ。
視覚からこの紅に犯される。
「ヤ……はっか…ぁ、あああ……っ」
「ご、じょう…」
僕は思う様悟浄の身体を揺さぶり、最奥で絶頂の熱を放った。


雨の音は、随分弱まっていた。
「もーヤだ。ぜってーヤだ。お前とはしねえ!」
ベッドの上で、不自由な身体をじたじた子供みたいに動かして、俺は八戒の腕の中で暴れた。
「薬を使ったのが気に入らなかったんですか? でもすごく、感じてましたね」
あははと笑う八戒に、怒りが俺を震わせる。
薬なんか効いちゃいない。
だが口が裂けても、そんなこと言えない。
…確かに、悦かった。
何だかよくわからないが、頬がかあっと熱くなる。
八戒が俺を見て嬉しそうにしているのが正視できず、目をそらす。
負けたような気がする、俺らしくない俺がたまらなく嫌だった。
俺は八戒の腕を振り払い、シーツに顔を埋めた。
「…もう、お前だって平気だろ」
「何がです?」
「雨の音」
頭の上で八戒が息を飲んだ気配があった。
「…まだ、ちょっと苦手ですけどね」
「だからってなあ…俺の身にもなれって」
気持ちいいことは嫌いじゃない。
だが、コイツとすんのはもういやだ。訳がわかんなくなる。
いつだって誰としたって、主導権は常に自分にあった。
なのに、コイツ相手だどうしても自分の思うようにコトは進まない。
快楽に落ちていっても、必ずどこかに、冷静な自分の意識は残っていたはずなのに、翻弄され乱され、根こそぎ意識を持っていかれる。
それが、俺は恐ろしい。
「オンナでも紹介してやるから、そっちに紛らわせてもらえよ」
なんなら男にするか? と言いながら顔を上げれば、驚くほど近くに八戒の顔があった。
ことさらにっこりと作られた笑顔は、怖いくらいの迫力がある。
「悟浄、何が言いたいんですか?」
「何って…言葉通りだよ。俺はお前ともうしたくないから、他の奴にしろ」
「したくないって」
八戒は驚いたような…、そしてちょっと悲しそうに俺を見返した。
揺らぐ、翠の目。いつか誰かが邪眼みたいだと言っていた、深い翠。
途端、心臓がうるさくなる。
――こいつの、この目が嫌いだ。
「すっごく、悦さそうだっじゃありませんか」
「ヨけりゃいいってもんでもねーよ」
「その台詞、他の誰が言っても、貴方だけは言っちゃいけませんよ」
「う…」
確かに。
俺がいままで街の女と持っていた関係は、そういう関係だ。ヨけりゃいい。
それに疑問を感じたこともなければ、悪いなんて思ったこともない。
「それに…僕が他の誰かを抱いても、貴方は平気なんですか?」
俺の一挙一動を見逃すまいと、凝視めてくる。
予期していなかった台詞だ。
「お前こそ、何が言いたいわけ?」
今度は俺が八戒に問い返す。
八戒がどうしようと、俺がごちゃごちゃ言うわけないじゃん。
「…別にお前が女と出てっても、俺は一向にかまわねえぞ? もとの生活に戻るだけだしな」
俺はずっと一人で生きてきた。そしてこれからも、独りで行く。
お前なんか、いらないんだよ、八戒。
そういう想いを匂わせて、唇をつり上げて嘲う俺を、八戒はなにか不思議なものでも見るかのように凝視め、あっさりと宣った。
「何言ってるんですか、僕のこと好きなくせに」
「………」
「イマサラ強がったって、お見通しですよ♪」
にっこりと、笑う八戒を前に俺は絶句して、しまった。
バカみたいにただ目を見開いて…そして、ぐったりと、ベッドに沈みこんだ。
「悟浄?」
「…寝る」
俺は目をつぶり、自信満々に笑う翠の目をシャットアウトした。
自分の頬がほんのり紅に染まっているのにも気がつかず。

――この、翠の瞳が嫌いだ。
こいつの何もかもを見透かすしちまう、透明な、この翠の目が。



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