† No Title †
微かな足音が聞こえ、八戒は目が覚めた。
時計を見れば、まだ真夜中といっていい時間だ。
ふらりと一人夜の街へ消えた悟浄が、帰って来たのだ。
長い旅の最中、そうそうシングルの部屋はとれず、八戒と悟浄は同室になることが多かった。
こっそり気配を殺す、などと自分に気を使うくらいなら、遊びにでないで欲しい。…本当は自分の目の届かないところになんか行って欲しくない。
でも、そんなことを口にすれば、悟浄は自分を側にはおかなくなるだろう。
だから、いつもちょっとした意地悪や、悪戯をして紛らわせる。
「…! まだ、起きてたのか?」
「目が覚めちゃったんですよ。まったく、夜遊びは結構ですけど、もう少し静かにできない…」
不意に八戒の目に飛び込んでくる、悟浄の肌。その上に残る鬱血の痕。露骨な…情痕。
平素の悟浄なら、こんな風に肌に痕を残すことはない。
そして暗闇でもわかるほど、青ざめた顔色。
「悪かったって。気ぃつける…って!」
八戒は悟浄の腕を引き掴むと、ぽん、と悟浄をベッドに突き倒した。
悟浄の身体は八戒が思うよりずっとあっさりと、ベッドに沈んだ。
驚いた様子だったが、とくに警戒した様子もなく、気だるい仕草で悟浄が紅い髪をかきあげた。
その安堵しきった様子が、普段は八戒に言い様の無い幸福感を与える、信頼に満ちた眼差しが、今、妙にカンに障った。
「…急に何だっての?」
「これ、なんですか?」
八戒は悟浄の胸のポケットから、捻じ込まれた紙幣を引き出した。
かなりの金額だった。
ぱらぱらと見せ付けるようにベッド散らしてやると、悟浄の身体が強張る。それに気がつかなかったふりをして、八戒はことさら優しげに笑んで見せた。
「――いままで、賭場にでも居たんですか?」
「そ、そーだよ! カード! 俺が勝ったの!!」
ヤケクソのように叫ぶ悟浄に、八戒は今度こそ耐えられない、とくすくす笑い出した。
自分でも嫌になる程、暗い笑いだ。
「語るに落ちてますよ、悟浄。この街には賭場なんてないんです」
悟浄の目が見開かれ宙を泳ぐ。悔しそうに唇を噛み締めるさまを、八戒はどこかうつろな気分で眺めた。
「賭け事以外に一晩でこれだけ稼げることなんて、そうはたくさんないですよね」
「オイ…八戒!」
いきなり、悟浄の服に手をかけた。
「ヤメロって! 馬鹿なことすんじゃねーよ!」
「…ああ、お金ですか? 幾ら出したら、貴方を買えます?」
「幾らって、お前ッ」
悟浄は腕を突っぱねて、必死に八戒を押しのけようともがいた。
不意に八戒の指が悟浄の唇に伸びてきた。
「八か…ッ」
ぐしゃっと耳障りな音をさせて、悟浄の口に、数枚の紙幣が押し込まれる。
信じられないものを見るかのように、悟浄の目はただ見開かれた。
ガラスみたいに透明な、濡れた真紅が八戒を写す。
「コレだけあれば、一時間くらいは足りるでしょう? …足りなければ後で払いますよ」
「………!」
悟浄は八戒の行動についていけず、ろくな抵抗もできていなかった。
八戒の唇は悟浄の肌の上に散った淫らな痣に触れるか触れないかというもどかしさで触れてくる。
口から紙幣を引き出してる隙に捕らえ、強引に下肢を割る。
シーツの上、散らばる大枚の紙幣と悟浄の紅い髪。
それは倒錯した光景だった。
悟浄を酷く汚れた存在に見せ、そして何より自分が惨めだと、八戒に感じさせる…。
悟浄は猛然と抗った。
「馬鹿野郎、止めろっ!」
「他の男には抱かれるくせに、僕は嫌なんですか? どうして?」
「どーもこーもねえ! お前とこういうことする気はねーよ!」
「どうして? お金が欲しいんでしょう? …それなら誰だっていい筈なのに」
深い翠の瞳に宿っているのは、憎悪に近い感情。
ぞわっと悟浄の背筋が悪寒に震えたのが解かった。
「…それとも、欲しいのは男ですか?」
「違…っ」
「違う? ココに、男が、欲しいんじゃないんですか?」
「うぁッ」
八戒の長い指が強引に悟浄の中に押し込められた。
そこを慣らす必要はなかった。
ほんの数時間前まで寛げられていたらしいそこは、あっさりと八戒の指を食う。
八戒は影を瞳に滲ませて、ただ悟浄の痛みを煽り、無造作にそこを圧し広げていく。
「痛ぇっ、はっかい…っ!」
「痛くしてって、身体が言ってますよ」
動かす度に、揺らす度に、ひくひくと身体が跳ねる。
言葉は八戒を拒絶しても、身体は快楽を求め熱く開かれていく。
慣れた身体だ。
悟浄を抱いた、見知らぬ男の影が八戒の頭をよぎる。
カッと頭に血がのぼった。
「嫌…だっ…て、ひ…ッァ――――…」
いきなり、八戒は悟浄を高ぶった己のモノで貫いた。
深く抉るように突き上げる。
尾を引く悲鳴は、八戒の手によって再び悟浄の口に押し込まれた札に遮られた。
びくん、びくん、と、激痛に跳ねる悟浄の身体。
構わず、八戒は自分の欲望の命ずるままに悟浄の身体を揺さぶった。
悟浄が声をあげようとするのも許さず、悟浄の口を指と、押しこんだ札とで押えつけた。
苦しげに眉がよる。鼻先を血の臭いがかすめて行く。
だがそれすら、今の八戒には情欲を煽るものだった。
「さすが…売りものですね、すごくイイですよ、悟浄…」
ぎりぎりと激しい怒りと、何か切ない色が悟浄の目に宿り、自分を射抜く。
ぞくっと、八戒の背中に衝撃が走る。
少しづつ、身体が熱を持て余して暴走を始める。
与えられる痛みを快楽にすりかえる術を、悟浄の身体は無意識に知っていた。
「う……っぇ…ッ」
吐き出した紙幣が、銀糸をひきながらシーツに落ちた。
八戒の手が下肢に伸ばされる。
「…ぁ…っあぁ……やっ………」
あがる、嬌声。
普段より些か高めの、甘やかなその声。
八戒の初めて聞く悟浄のそれ。
暗い喜びが沸きあがる。
優しさの欠片も見せずに八戒は手の中の悟浄を、ぎゅうっと強く握り締めた。
「ッ!」
息を飲む悟浄を満足げに眺め、なおも八戒の手は性急な愛撫を続けていく。
痛みと快楽に支配される中で、それでも懇願することも哀願することも悟浄はしなかった。
八戒を射抜くのは、熱に潤みながら、怒りに燃えた双玉。
急激に八戒の中の征服欲が煽られる。そして八戒はそれに抗う術をなくしていた。
自分も荒くなっている息の下から、わざと間延びした声を出す。
「意地、張って」
ぬるりと濡れた悟浄のモノを爪弾くと、身体がびくりと震える。
「達きたいくせに」
熱を孕んで、悟浄の身体が悶え、波打つ。
キレイだ、と思う。自分を拒む目も、自分を受け入れる身体も。
「悟浄…」
「…く…ぅ…ん……」
悟浄の髪に肌に、紙幣がまとわりつく。
八戒はそのすべてを振り払うように悟浄を抱き、強く、きつく揺さぶった。
がくがくと揺れる身体。
縋り付く、両手。
与えられる刺激に息を詰め、熱を暴走させていく身体に、理性の箍が弾けとぶ。
「…あ…、ぁ…ヤ…っ―――……!!」
声にならない、悟浄の声が空気を震わせる。
悟浄が八戒の指の間から欲望の滴を滴らせると同時に、身体の奥深くに八戒は迸りを吐き出した。
「で? お幾らですか?」
「…ぶっ殺すぞ、てめえ…」
掠れた声で、悟浄は凄んだが、すぐに諦めたようにベッドに沈んだ。
ベッドの上に散った紙幣を、指が白くなるほど力を込めて握っていた。
「舐めやがって…」
「別に舐めてませんよ。あなたが欲しいと思っただけです」
「…で? 金払ったらイイんだって解かった途端、コレなワケ?」
悟浄はにっこりと笑って見せた。驚くほど鮮やかな…作り笑いだった。
頬が微かに震えているのが痛々しく、八戒は全身が凍り付いたような錯覚を味わった。
「誤解しないでください、僕は…っ!」
「うるせーよ! 出てけ馬鹿野郎!」
「悟浄!」
八戒は悟浄を抱きしめた。
八戒の手を拒んで猛然と暴れる悟浄を、強く強く、腕の中に抱きしめた。
「悟浄…悟浄…悟浄…悟浄………っ」
固く、切ないものを含んだ、八戒の声。
どうしたら伝わるのか、どうしたら解かってもらえるのか。
「わかりませんか? こうして抱きしめても、伝わりませんか?」
覗き込んだ悟浄の紅玉が、燃えていた。
怒り、悲しみ、切なさ、痛み…そう言ったものが渦を巻き、八戒を圧倒する。
「何がだよ? 馬鹿にしやがって…!」
「違いますよ、本当にわかりませんか?」
ことなげに、八戒は笑った。
「あなたを、愛しているんです」
頬を挟み、額と額を合わせ、視線の逃げ場を断つ。
悟浄の瞳が揺れ、八戒は、悟浄が泣くのではないかと思った。