≪緋い月≫
もう、どれだけ経ったのだろう。
暗がりの中で、己の身体さえ見えない日々を、幾つ重ねたのか。
幾ら瞳を凝らしても役に立たないから、目を開けていることさえ諦めたのは、ここに落ちてからそれほど時間が経過していない頃だったはずだ。
いや、本当にこの眼は機能しているのか?
時折訪れるあいつの姿どころか、ここと外界を繋ぐ出入り口さえ見えないのは、どうしてだ?
反芻する思考は、無限ループに囚われたように答えを導き出すこが出来ない。
鼻を突く異臭。
それだけが感じることの出来る唯一の感覚で、俺がまだ生きていることの唯一の証しだった。
冷やりとした湿気と、黴の匂い。
汗と血と精液の混じった、饐えた匂い。
そして肉が腐り落ちる、独特な腐臭。
両の手足を潰され、その鮮血を見た覚えがあるのだから、一番最初の苦痛がそれだったのだろう。
激痛にのたうちながら、あいつの口元が薄い笑いの形に歪んだのを見たのが、最後の記憶。
(・・・・・・そうか。やっぱりこの眼は見えてねぇのか)
今更な事実に嘲いが漏れる。
辺りは時化っているのに、咽喉だけはカラカラに乾いて貼り付くようで。
もう感じないかと思っていた痛みが、僅かに身体を苛む事に安堵する。
背中に当たる小石が鬱陶しくて、体を横に倒そうとしたが、腕すら使い物にならないことを改めて気付かされただけだった。
腕どころか脚も、全ての四肢に感覚がない。
もしかしたら、もう既にこの身体には着いていないのかもしれない。
骨も肉も、ぐずぐずに溶け崩れ、手足をもがれた人形のように胴体と頭だけの俺が、冷たい地面に打ち捨てられている。
(なんだってこんなことに・・・・・・)
幾ら考えてみても、判る筈もない。
あいつの狂気を引き摺り出したのが俺なのか。
狂気故に、あいつが俺をこんな姿にしたのか。
空回りする思考の中で、ただ紅い闇だけが瞼を染める。
耳に痛いほどの静寂が、全ての感覚を狂わせる。
(鬱陶しいな・・・)
血か汗か、そんなもので頬に貼り付いた髪の毛がガサガサに乾ききっていて、緩く頭を振るくらいじゃ取れないコトにイラつく。
こんな時にあいつが来てくれりゃぁ・・・・・
そこまで考えて、はじめて自分があいつを待っているコトに気が付いた。
現われれば痛みしか与えてくれないあいつを、ただ待っている自分が滑稽で。
それでもあいつが来るから、俺はまだ生きている。
抱き返す腕も無く、歩み寄る足も無い。
それでもあいつは妄執に憑かれたように、この身体を抱きに来る。
あぁ、俺もあいつも正気じゃない。
正気じゃないからこんなコトを続けていられるんだろう。
誰の存在も許されない、この閉ざされた空間で、俺はただ耳を澄まし、天上の調べを聴くが如く、あいつの足音を待っている。
この静寂を破ることの出来る、唯一の音を・・・・・・。
「っ!?」
悟浄はいきなり飛び起き、次いで荒い息を繰り返した。
心臓を鷲掴みにされたような痛みが、全身に走る。
無理に呼吸を整えようとすればするほど、狭まった器官が引き攣った音を立てた。
「・・・悟浄?」
不意に掛けられた八戒の声で、漸く悟浄は自分のいる場所に気が付く。
そうだ。ここはあの、何もない場所じゃない。俺の目は自分の手を映しているし、俺はまだ五体満足に生きている。
「悪ぃ。起こしちまったな」
苦笑の形に唇を歪め、関節が白くなる程に握り締めた己の手に視線を落とす。
そこには何の傷跡もない。
アレはただの悪夢だ。
どんなにリアルだろうと、ただの夢だ。
それでも、身体の震えが止められない。
「悟浄・・・」
「大丈夫。大丈夫だから!・・・お前ももう、寝ろよ。起こしちまって悪かったな」
八戒の声を聴けば何を言い出してしまうか判らなくて、遮るように怒鳴ってシーツを被る。
何か言いたげな八戒の視線を背中に感じたが、それ以上耐えられなくてぎゅっと目を閉じた。
目を閉じる刹那に視界に飛びこんで来た緋い月が、思い出したくも無い赤い色を連想させる。
何よりも怖かったのは、手も足も無くただ訪れる痛みを待ち、安堵の笑みを浮かべる自分。
そう、そんな自分が怖かった。
夢なのに、夢だからこそ、怖かった。
(大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・・・・・・・)
歯の根が鳴るのも気付かずに、悟浄はただ繰り返す。
月の狂気に囚われて、自分の落ちる先があの闇の中でなければイイと、それだけを思いながら。
既に狂気が訪れているのにも気付かずに―――。
夢落ち。
いや、そういうことではなく・・・なんだか冒頭部分のようになってしまいましたね。
しかしこれ以上の内容はありません。初めて物置らしい作品になったなぁと、思っているのですが・・・
ま、物置の中のコトなので、クレームは受けません。注意事項で言い切ってるからな。
文字の読めないやつは来なくておっけぇ。・・・本当に精神状態良くないなぁ(笑)<俺も駄文も