銀の河に降る星



 夜。ふと目を覚まし、何気なく隣をみやると、横に寝ているはずの男の姿がな いことに気付いた。ぱたぱたとけだるい腕を動かして、男が寝ていた場所をまさ ぐると、温もりがもう殆ど消えている。どうやら大分前に抜け出したらしい。
 悟浄は一糸纏わぬ体を起こし、ため息を吐いた。
 ベットの脇のサイドテーブルにおいてある煙草に手を伸ばし、そのまましばら く紫煙の行方をみつめる。何を考えるでもなく何となく再び隣に手を這わせる。 温もりは既にない。それでも名残り惜しそうに悟浄はシーツの上をまさぐり続け た。
 と、そこではたと気付く。
「・・・俺、なにやってんだ?ってそもそもあいつは何処行ったんだか」
 八戒がいた場所に甘えるような態度をとってしまった自分に対する照れから、 わざと声に出して呟く。
 ふいに頭上でごとり、と音がした。反射的に天井を見るが、勿論誰がいるわけ でも、何かがあるわけでもなかった。
 再度ごと、ごとん、がたり、と結構派手な音がする。
「屋根・・・?」
 ここは男2人のむさ苦しい所帯である。盗るものは何もない。ましてや、ここに住んでいるのが誰か知っている者なら、絶対に泥棒に入ろうとは思わない筈だ。以前、10倍返しくらいで報復したこともあるし・・・。
 故に泥棒、盗賊の類ではないと断言できる。となれば・・・
「いたな・・・」
 同居人の男がいる場所が判明し、悟浄は髪をかきまわした。
 しばらく考えて、手早く衣類を身につけ、立ち上がる。
 念のため、隣の部屋を覗いてみたがやはり誰もいなかった。ますます確信は強 くなる。
「ったく・・・」
 ぼやきながら外に出ると、夜明けまではまだかなり時間があることが解る。
 新月で月がでていない為にあたりは闇が支配していた。
 ふいにざっ、と風が吹き、それにあおられるように悟浄は空を見上げた。途端 、あまりの星の多さに息を飲む。
 満天の星、降るような星空とはまさにこのことを言うのだろう。天は違う星の 輝きに支配されていた。その間に見えかくれする、見事なまでの漆黒。星の輝き が圧倒的で、空の色は普段よりも暗くみえた。いや、悟浄はこの場所に住み着いてからそう長いこといるわけではないのだが、決して短くもないこの生活のなかでこんな星空を見たのは初めてだった。
 天を覆い尽くす、星。その輝きとは対照的に虚空の深淵をたたえたような、漆黒。
 まるで吸い込まれそうな、その昏さ。
 ふいに、視界がくらりと揺らめき、悟浄は慌てて視線を地上に戻した。星空に平衡感覚を失ったらしい。頭を2、3回振り、自分をしっかりさせる。
「・・・悟浄・・・?」
 低い、控えめな呼び声に振り返ると、案の上八戒が天井の縁から身を乗り出していた。
「おう、やっぱりここか」
「悟浄、目が覚めちゃったんですか?」
 不機嫌そうな声で答える悟浄に、八戒が不思議そうに聞く。
「覚めちゃったんですか、って聞くか、お前は。・・・今お前がいる場所って、俺の部屋のめちゃめちゃ真上なんですけど」
「ああ・・・それはどうもすみません」
 眉間に皺をよせて、重苦しく言う悟浄に、にこにこ、にこにこ。申し訳なさとはまるで無縁の笑顔で八戒が謝る。その顔を悟浄は呆れたようにみやった。
「・・・お前の笑顔だきゃあ、本当に信用ならねえよな・・・、まあいいけど。で?お前は何やってんの?」
「星見です」
「ほしみぃぃぃ〜?」
 思いっきりうさん臭気な悟浄をまったく気にすることなく、八戒は満面の笑みで手招きをした。
「はい。綺麗ですよー?よければ悟浄もどうです?こっちに来ませんか?」
「来ませんかってったって・・・」
 屋根に登るのはいい。いまさら行儀が悪いなんていう奴もいないし。登るのはそれはもう、全然かまわない。が、問題はある。どうやって登るんだ?どこにも屋根につながるようなものはつけていないはずだ。いや、まて。そもそもこいつはどうやって登ったんだ?
 そんな気持ちがそのまま顔に出たのか、八戒が薄く笑って、黙って家の横を指差す。
 つられて横を見て、成程合点がいった。
 家の横には大きな木がある。ここに越して来た時からあるもので、いつから植わっているのかいつ植えたのか、また誰かが家を建ててから植えたのか木がある ところに家を建てたのか、それは解らないけれど、その木は楽に屋根の高さを超 えていたし、枝はこれでもかというぐらいに広がり、屋根の3分の1程を埋めていた。おかげで木の脇の部屋は日当たり最悪である。
 とりあえず、ひょいひょいと軽やかに木に登り、あとは屋根に降りるだけ、というところになって、はたと悟浄は動きを止めた。
 はっきりいって、この家は古い。それはそうだろう、この木がこんなに大きく なるまで建っているのだから。そんな屋根に大の大人の男2人が乗って大丈夫なのかとか、飛び下りたら穴が開きそうとか、そうなったら確実に直すのは自分だ、こいつがやるわけがない、どうせいつもの笑顔で押し付ける気なのだとか、いろいろ考えて、結局その場でかたまったまま動けなくなる。
 表情の変化から、悟浄の考えていることを悟った八戒は、ぷっと吹き出すと危な気無い足取りで悟浄に近付いた。
 何も言わず手を差し出す。
 悟浄はその手と八戒の笑顔とを交互にみて、憮然となった。乱暴にその手を取 り、そっと屋根に降り立つ。そのまま微かに赤い顔でつないだ手を離さずに広く もない屋根を歩き、並んで寝転ぶ。
 変わらずの、びっしり空を埋め尽くした星。安定した所に寝ているせいか、先ほどのような目眩は起こらなかった。
「・・・・ああ、確かに綺麗だな・・・」
「でしょう?今日は空気が澄んでますから、良く見えますね」
「ふーん・・・そうなのか・・・」
 何となくつないだ手を離しづらくて、お互いの指を絡めたまましばらく無言で 空を見上げ続ける。
「なあ・・・あれ、何だ?」
「え?どれですか?」
 空の一点を指す悟浄の指を目で追って、八戒はああ、と呟いた。
「天狼星です。この空で一番明るいとされている星ですね。暦の元になったとも 言われています。因に」
 今度は八戒の指が一点を指す。
「あの、いくつもの星がかたまったように見えるのが、昂宿。もしくは六連星と もいいます。実際はもっと数多い星が集まっているみたいですけど。そして」
 すっと、空の端から端まで指をすべらす。
「あの、淡い帯状に星が連なっているのが、天の川です。数えきれない程の星がこういう川のように見せているみたいですね」
「ふーん、お前物知りだな・・・」
「・・・一応、前は子供達に勉強を教えてましたから・・・」
 感心したような悟浄の口調に苦笑を返しておいて八戒は続けた。
「天の川を挟むようにして光っているのが、牽牛星と織女星です」
 何の迷いもなく空を指差す八戒の囁くような声に悟浄は聞き耳をたてた。自分の知らないことを教えてもらうのは楽しいし、八戒がどんな知識を持っているか理解するのも嬉しいと思う。
「悟浄?聞いてます?」
「聞いてるよ。あれが牽牛で、あっちが織女だろ?」
「正解です。よくできました」
「言ってろ」
 教師の口調になって褒める八戒をひと睨みする。
「ああ、すいません。つい癖が・・・。あ、今日って7月7日じゃないです?七 夕ですね」
「七夕?って竹かざる?」
「はい。『銀河祭』ともいいます。ちょうどいいですね。あの、天の川の端と端 にいる、牽牛星と織女星。2人は恋人同士だそうです。ただ、普段は天の川が邪魔で会えない。それが7月7日のひと晩だけ、白鳥が川を渡る橋をつくり、2人はひとときの逢瀬を楽しむ事ができるそうです。1年にたったの1度だけ」
「かーっ?!1年に1度ぉぉぉ?なんっじゃそりゃ!」
「・・・そういうと思ってました。ではもうひとつ。雨が降るとまた1年会えな いそうですよ」
「・・・はっ!?・・・てことはもう1年おあずけってやつか?・・・俺には耐えられねーな。浮気しねーのかな?」
 悟浄の単純な質問に八戒は苦笑した。
「さあ・・・。そういった話は聞きませんねえ。・・・それだけ2人が深く結びついてるってことじゃないですか?1年に1度の逢瀬でも十分なくらいに。何億年も前から運命の相手に巡り会ってるんです。他のことなんか目に入らないくら いに、大切な人に。羨ましいと思いますけどね」
「でも、1年に1発ってのはなあ」
「悟浄、下品ですよ。足りませんか?そのかわり、濃いーのかもしれませんよ? 」
「・・・お前の方が下品だろ・・・」
「あはは、すいません」
「まあ、でも運命の相手ねえ。それはそれでいいんじゃねえの?どのくらい相手 を待つかなんてえのはそいつらの勝手だし?」
「・・・悟浄はどれくらい待てますか?」
 つないだ手に微かに力がこもり、悟浄は八戒に視線を戻した。八戒は変わらず空を見上げ続けている。
「俺?さあ・・・。どのくらいかな・・・。個人的には会えるだけ会いてえけど な・・・。川の向こうに相手がいるのが分かってるのに会えねえってのは、ちょ っとなー・・・。お前は?」
「うーん・・・。やっぱり相手によりますねえ。さっき自分で言っといてなんな んですけど、そもそも『運命の相手』っていうのは運命が相手を選んだのではな く、自分が選んで縁を感じて初めて運命だと僕は思ってますから。だから悟浄を待つなら、耐えれますよ?」
「ちょっと待て・・・。なんでそこで俺が出てくるんだ?」
「あれ?何か変ですか?」
 相変わらずの、捕らえ所のない笑顔。爽やかに微笑まれて、悟浄はもう何も言えなくなった。
「あー、うー、・・・も、いい・・・」
「そうですねえ・・・。やっぱり待つっていうのは、嫌なものかもしれませんね 。大切な相手なら触れあいたいし」
「だなあ・・・。どのくらいが丁度かな。お前結構我慢きかないしな」
「それって、僕が運命の相手ってことですか?」
 八戒の言葉に、悟浄の頬が赤く染まる。
「ばっ・・・・・!あー、もうお前には負けるよ」
 繋いで無い方の手で顔を覆い、悟浄がため息をつく。
「じゃあ、こうしましょう」
 八戒が起き上がり、悟浄を上から覗き込んだ。星を背にした八戒の顔は見えな いが、微笑んでいることは解る。
 繋いでいる手を上にあげると、その手首の内側に八戒は唇を近付けた。そのままきつく吸い上げ、くっきりとした深紅の痕を残す。
「これは所有印。この痕が消える前までに僕達は必ず出会う。何度別れても、離れ離れになっても。そう、例え星が堕ちても・・・。どうです?」
 何時の間にか八戒の顔から笑顔が消えていた。それに気付いた悟浄は反対に微 笑って起き上がった。
 八戒と同じように相手の手首に唇を寄せる。自分に負けず劣らずの痕を確認し て、八戒に笑ってみせた。艶やかに。鮮烈に。
「じゃあ、お前も俺のものだな。忘れるな、この痕が消える前に逢いに来い、必ず。そうすれば、俺はお前のものだ」
「・・・承知しました。あの空に流れる河に誓って・・・」
 八戒の瞳が深い色をたたえて悟浄を見ている。臆することなくその瞳を見返し 、どちらからともなく、唇を寄せ会った。
 穏やかに触れあう、暖かい口付け。1度離れ、見つめ会い、何故かお互いに照 れたように笑って、もう一度口付ける。
「今日は思う存分、星を見ましょうか」
「たまにはいいかもな・・・」
 八戒の腕の中におさまって、悟浄はもう一度空を見上げた。天の川には相変わらずの、牽牛と織女。
 何億年前から会い続けている恋人同士は、きっと今日も会っている。それが、『運命』。そう、自分で決めた、運命。
 この男と共に在る。それが誰にも、何者にも変えられない、自分だけの・・・
 再度、口付けを交わしながら見上げた空に、星が一つ流れた。



鎖国様より頂きました、壱萬HITの御礼小説です
って、アレの御礼と言うには随分と素晴らしいものを・・・
本当に宜しいのでしょうか?(ドキドキ)
手を繋いで星を見る二人って、すごく可愛い構図で、かなり気に入ってしまいました。
本当にありがとうございました(^^)



+ Back +