『 貴方はルビーの嘘を付く。 』



 ぼんやりと窓の外を眺め続ける姿にぞく、としたものを感じた。声を掛けるといつも通りの強い微笑み。この人は何があってもその笑みの下に隠してしまう。本音をさらけ出してやれればこの人は楽になる。判っているのだけれど、この人の本音を暴く方法を僕は知らない。ただ、時折、本当に滅多にない事だけれども、肌を合わせている最中に本音を曝す事がある。だから、この人が本当に苦しげな時は自分でも呆れるほどの勢いでこの人を責め立ててみたりするのだけれども。
「八戒?どうしたよ、ぼんやりしちゃってよ?」
 つい先刻まで自分が思っていた言葉を投げかけられて、八戒は一瞬目を見張った。この人は本当に人を気遣う、と言う事が上手い人なのだ。
「何でもないですよ。貴方こそぼーっとしていたでしょう?」
「俺が昼間ぼーっとしてるなんて良くある事じゃん。夜行性だから、俺ってば。」
 そう言ってにやりと笑う。その皮肉げな表情が仮面だと気付いたのはいつだったか。なぜだろう、この人の微笑みの仮面はとても強くて。僕では剥ぎ取る事が出来ないのだろうか。
「夜行性って貴方…。」
 辛そうな瞳で平気そうな仮面を付けて微笑まないで。胸がきりきりと痛むから。
「八戒がぼーっとしてる方が大問題よ?珍しいんだもんさ。」
 はは〜っと明るく笑われて驚く。この人は表情はくるくると変わって。けれど常に笑顔だった気がする。皮肉な笑みと寝起きの不機嫌そうな仏頂面。そればかりを見ている。
「イイ天気〜…。」
 窓の外に視線を戻した悟浄が呟くように言う。確かにいい天気だ。作り物じみた青い空。「ほんと、いいお天気ですよねえ。絶好の家事日和ってやつですね。」
「おいおい…所帯じみてんなあ…。」
 呆れたような声に答えられてほっとする。どうにかいつものこの人に戻ってくれそうだ。「所帯じみちゃうでしょ。貴方、ほっとけば縦のもの横にもしないんだから。」
 くす、と笑って返せば、微かに聞こえる苦笑。
 まあ、確かにそうだけどもさ。そんな言い方ってないじゃない。
「八戒来てから、この家綺麗だもんなあ。俺んちじゃないみたい。」
「何言ってんですか。貴方の家でしょ。」
 家、と言うよりは住処とか塒とかそう言う表現が正しいような状況だったけれども。
 だってぼぅっと過ごしてきただけだもん。いつ死んじゃっても良かったし〜。
 ここに来た当時に生活ぶりが余りにも凄くて少しばかり説教じみた事を言った時の悟浄の答え。いつ死んでも、なんて言う人に僕は拾われて助けられたの?そう尋ねたら、困ったように笑って。まあ、拾っちゃったからね。ちゃんと生きてる気になってるよ。なんかさ、家に生き物いると旅行とか出来ない、っていう人の気持ち、判っちゃうね。お前、俺より生活とかは俺より色々出来そうだけど、見ててやんないと死んじゃいそうなんだもん。 そう言われた時は流石に苦笑する事しか出来なくて。悟浄の言う通りだったのだけれども。
「今日はお出かけは?」
「ん〜…どうしようかなあ…なんか、気が乗らないんだよねえ。」
 ぼ〜っと呟く声。やっぱり今日のこの人はどこか変だ。
「なんか、ありました?」
「んにゃ?何も?」
 本当に何事もなかったのだろう。少なくともこの人にとっては大した事ではないか、日常的な出来事でしかない、事象は有り得たかもしれないけれども。お互いに人のことは言えないのだけれど、日常の中でじりじりと焦げていくような痛みを伴う傷と生きている。
 僕はそれでも随分と悟浄に救われたんですけどねえ。悟浄は違うんですかね。僕じゃダメなんでしょうか。
「じゃあ、久しぶりに夕飯は一緒ですね。何か食べたい物、あります?」
「いや、特には…あ、唐揚げ♪」
「夕飯のおかずというより…つまみですねえ。判りました。」
 にっこりと微笑んでやると悟浄はその笑みにつられるように笑った。
 八戒が部屋から出ていくと、悟浄の顔から表情が消え、再び思考の中に落ちていく。
 優しくて暖かく包むように接してくれる同居人。柔らかく微笑んでこんな自分を好きだと言ってくれる男。出会った自分は恵まれていると、うっとりするような綺麗な手でこの身体に触れながら囁いた。
 貴方は僕が触れる事を許してくれる。それだけでとても救われるんです。こんな風に、罪もない人達、愛した彼女の血で汚れた手も、僕自身も、貴方に触れている間だけはそれでもいいのだ、と思う事が出来る。僕はまた迷う。いいえ、ずっと自問自答して生きていくでしょう。僕はこれでいいのか、生きていていいのか、貴方の側にいていいのか、と。だけど、貴方に触れたこの手がある限り、迷っても、何があっても…きっと生きていくと思うのです。
 吸い込まれそうな緑の瞳は、迷いの色を宿しながら、それでもきらと光って。寄りかかれるのも、頼り切ってべったりになられるのも真っ平な事だけれども、柔らかい、柔らかい笑みを浮かべるその顔にそんなものは感じ取れなかったから、ことさらに悟浄は明るく笑った。
 お前の手は綺麗だよ。
 そう囁いてやった時の、笑顔と言ったら。
 貴方に触れる時、いつも迷います。僕が触れていいのかどうか。そうする事で貴方も僕の手と同じ血の色に染め上げて、汚してしまうのではないかと。貴方の赤はとても綺麗だから。
 どこか辛そうに、けれど悟浄の赤を誉める時だけはうっとりと語る人。どれだけそれに救われたろう。自分は何もしていないのに。
 俺の赤は世界の呪いの色なのに。俺の方こそあいつを自分の呪いの中に引き込んでいるような気がしてならないのに。けれど綺麗だと言うから。髪の事も目の事も言葉にされると無性に腹が立ったのに。うっとりとうっとりと誉めてくれる人がたった一人でも目の前に現れてくれたから。
 刷込のように、初めて見た物を親と思い込む雛鳥のように、ただ初めて認めてくれて人に惹かれただけなのかも知れない。でも、それでもいい。きっと、この思い込みは解けないから。

 二人の間に横たわるのは、世界を横切る、血より赤い赤。ルビー色の、解けない嘘。




(深海様よりコメント)
思いつきと勢いで書いた物なんですが…出来その物は悪くない、と思いマス。が、八戒、何のために出てきたんでしょうねえ…(苦笑)



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