みどり


 みどり.どこの学校にも必ず一人はいそうな名前である.私が通っていた小学校にも一人いた.

 小学校6年生のときだったと思う.私は学級委員というのをやっていて,その日は掃除係の6人と,放課後に便所掃除をやらなければならなかった.最悪の日である.他の友達は,グラウンドで楽しそうに遊んでいる.私は自慢じゃないが,生徒会というのをさぼってグラウンドでサッカーをやっていたこともあるワルなのだ.その時は,指導の先生に教室の窓から怒鳴られ,しぶしぶ会合に戻った.4年生の時には,教室の中で野球をして窓ガラスと栽培中の球根が入ったビーカーを同時に割って,ありの先生から「史上最低の学級委員だわね!」と叱られたこともある.その時は,なにやら史上最低という言葉の持つ偉大さに感動し,嬉しかったのを覚えている.そして,その時に割った球根の持ち主が,みどりだった.

 小学生にとって,便所掃除係と給食の食器係ほど嫌なものはない.皆が食べ終わった食器を片付けるときには,必ず手や服が汚れるし,しかも食器はとてつもなく重い.もっと皆,綺麗に食べろよな!と心の中で思うのだが,自分が係りでないときはよく残していた私は,子供だったからそんな大人げないことは口には出さなかった.さて,みどりと便所掃除について.

 もうおわかりだと思うが,便所掃除係の中にみどりがいた.苦痛きわまりない便所掃除を適当に切り上げ(学級委員の特権!),モップを股に挟んで遊び始めた.小学生の頃というのは不思議なもので,女の子も結構男っぽい遊びに参加してくるものなのだ.モップ遊びに飽きた私は,幅15cm程の階段の手すりにまたがり,後ろ向きに滑り降りて遊び始めた.滑り終わって,次に誰かが降りてくるかなあと上を見上げると,そこにみどりが立っていた.

 ここで,みどりについて少し説明をしておかなければならないであろう.クラスの中ではおとなしく,勉強も普通で,足がやや速いくらいが特徴のみどりは,比較的目立たない存在であった.しかし,なんとなく大人びたところがある彼女は,小学校低学年から高学年へとなるにつれ,本人の意思とは裏腹たつのりに頭角を現し出し,「お前,どの子が好きなん?」とか言う話になると,必ず一人や二人は「そら,みどりっちゃ」と答えるようになっていた.中には,「あいつのお母さん,すんげえ美人っちゃね.」と独自の自慢話をする奴も出てきて,なかなかの人気もんだった.以上で,みどりの生い立ちがほぼわかってもらえたかと思う.

 見上げた先で,こちらを見下ろしていたみどりは,大方の予想を裏切り,ためらいもなく後ろ向きになったかと思うと,手すりにまたがり滑り始めた.「おおぅ...」ヒロセが声を上げた.クラスで一番背が低いヒロセは,なぜか声はでかい.私も凍った.上からみどりの尻が落下してくるのだ.もちろんパンツ丸見えである.残念ながら紺色のブルマを履いていることがすぐに判明したのだけど,持って余りある幸運が目の前に迫ってくるのである.

 私は,条件反射的に,こいつは何とかしなくてはならない!という衝動に駆られた.もう眼前にみどりの尻が迫っている!なんと言っても,今や最も旬なみどりである.こいつもお母さんになったら,すんげえ美人になるのだ!

 「あっ!」その声を出したのはヒロセではなく,みどり本人だった.しかも,いつもと違い,どこかハラハラするようなもどかしい声だ.中学生になって知ったのだが,あれはうめき声というものだった.みどりは,私がとっさに突き出した浣腸マークの両手の先に,柔らかい穴をめり込ませていた.

 すでに羞恥心が芽生えていた私は,その場で指先を臭うような大胆な行動はとれなかったが,彼女が漏らした「あっ!」という声には,間違いなく匂いがあった.あれ以来,みどりとはしゃべっていない.人間,出会いと別れは突きものなのだ.皆と別れて家に帰った私は,ようやく人目につかなくなった玄関の先で,両指を鼻の穴に突っ込んでいた.1974年の秋のことである.

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