ところで,我々のサッカー部と言えば,今思うと戦術というものはほとんどなく,試合のハーフタイムになると,指導の先生が前半のプレーから,選手個々に付けたマイナスポイントに従い,その分だけケツバット(要は,尻を木の棒でぶったたかれること)を浴びるという,これぞまさに九州男児の世界であった(いや,ずいぶん違うかもしれない).私は,1〜2年生の頃はうまかったのか,フォワードをやっていた.そんなある日,日も沈みかけた練習の終わり間際に,チームの一人が皆の前で「これからは,俺のことをベッケン神山(かみやま)と呼んでくれ.」と真顔で言った.ディフェンダーの控えであった神山君に,皇帝の名前をとられたことについては,チーム一丸となって皆悔しがったが,先にとられたものはどうしようもなかった.特にキャプテンであった城(じょう)君は,人一倍悔しがっていたが,かと言って,後から「いや,それはキャプテンである俺のものだ!」というような大人げない態度をとることはなかった.我々は,このときすでにスージー・クワトロを聞いていたのだ.大人びていたのである.
そんなわけで,私のフィールドネームは,西ドイツのエースストライカーであるミューラーにちなんで,ゲルト坂井となった.実に,気分の悪い響きである.当時もいやでいやでしょうがなかったが,試合中に「パスだ,ゲルト!」とか言われると,ついその気になって蹴ったりする.妙なもんである.ただ,今思えば,ベッケンバウアーには,ちゃんとフランツという名前があったのだ.だから,ベッケン神山ではなく,フランツ神山と名乗るべきだったのだ.しかし,英語を習い始めたばかりの小倉っ子たちはドイツ語の存在すら知らず,ましてやベッケンバウアーにフランツという名前があったなんて知ってる者はいなかった.つまり,皆,ベッケンが名前で,バウアーが苗字だと信じていたのだ.なぜ誰一人,気づかなかったんだろうか...未だに消えぬ「ベッケンカミヤマ」というかっこいい響きへの嫉妬感とともに思い起こされる当時の無知さがすばらしい.
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