鳴いていた。泣いていたのかも知れない。
その声は、かすかだったけれども、僕の耳がいつも使っている帯域よりも少し上の方で、耳鳴りのように聞こえてきた。
こびりつくような鳴き声だった。
僕はその夜、いつものようにパソコンに向かって、何か書き物をしていた。
「よし、と。今日はこれで終了。」
書き物に集中していた意識の焦点を、少し広くした。
パソコンのディスプレイから目を離し、目の前以外からの情報を取り入れ始めた。そのとき、声が聞こえた。
「みぃ、みぃ」
「み」とも「に」とも「び」ともつかないその声は、断続的に聞こえてきた。
普段なら聞き逃していたかも知れない程度の声だった。
気になって、窓の外を見た。
僕の家はマンションの2階で、家の前はさほど車通りも多くない道だ。向かいにも同じようなマンションが建っている。
つまり、なんの変哲もない街のまっただ中だ。僕は声の主を探すでもなく、なんとなく辺りを見回した。真っ暗で、声の主が見つかるとも思っていなかった。おそらく近所の公園で鳴いているのだろう、とたかをくくっていた。
僕は、目だけはいい。
向かいのマンションの階段の前で、モゾと何かが動いた、ような気がした。
目を凝らしてみると、黒いこぶし大のかたまりが2つあるように見える。
なおもその2つの固まりを注意深く見ていると、そのうちの1つが確かに動いた。
僕は、入浴中だった彼女に声をかけた。困ったような声だったに違いない。
「…外で猫が鳴いている。多分。」
正直に言う。
気が重かった。厄介なことになった、と思っていた。家には彼女が連れてきた猫(ミル)がすでにいた。ミルとの折り合いも気になったし、新たに2つの生物がこの家にやってくるということへの畏れもあった。
しかも声や大きさから判断して、生まれて間もない仔猫であることは想像ができた。すぐに死んでしまうような気がして、憂鬱だった。
見間違いならいい、と思っていた。
とにかく僕らは向かいのマンションの階段に向かった。
2つのこぶし大の固まりは、やはり仔猫だった。まだ目も開いていない。生後1週間くらいだろうか。
そばには、粗末なプラスチックトレーに申し訳程度の水が入れてあった。
迷い込んだわけでも、ここに産み落とされたわけでもなく、まぎれもなく人の手によってここに捨てられていた。
なぜよりによって、ここなのだろう。
猫を捨てる人間の気持ちなどわかりたくもないけれども、どう考えても生き物を置いていく気になるような場所ではないのだ。
片方が、声の主だった。あらん限りの声で鳴きながら、モゾモゾと動いていた。「鳴くこと」と「うごめくこと」ができることのすべてだった。逆に言えば、この猫はできることをすべてしていた。
もう片方は、できることが何もなかった。何もできなかった。つまり死んでいた。まだ温かかった。
僕はやりきれない気分になりながら、できることをすべてしていた猫と、何もできなくなっていた猫を抱き上げ(といっても、掌に乗る大きさだったが)、家に連れて帰った。
こんなに幼い猫を見るのは、このときが初めてだった。とにかく小さくて、貧弱で、まだ猫なのかネズミなのかよくわからない姿だった。
体重を計ると、170gだった。
連れて帰ってきてから、僕はただ途方に暮れていた。情けないくらいに何の役にも立たなかった。彼女は同じくらい幼い猫を何度も育てていたので、慣れたものだった。ミルも初めはこの仔猫と同じくらいだったらしい。
その彼女が「連れてきたその晩さえ生きて越せればなんとかなる」と言った。
重苦しかった。
すでに死んでしまっていた仔猫は、ペット専門の葬儀屋に引き取ってもらった。
これからどうするかを話し合った。
とにかくしばらくは面倒を見よう、ということになった。そのあとどうするかはそれから考えよう、と。
この時点で僕は気づいていた。きっと彼女も。しばらく面倒を見てしまったら、きっと手放すことなどできない、ということに。
仔猫は、僕らの杞憂をよそに日に日に大きく、元気になっていった。
それでも僕らは、まだ仔猫に名前をつけることもしていなかった。
どう転んでもいいように、なるべく情が移るようなことはしないようにしていた。
ミルと対面させることもしなかった。
ゆっくり徐々に慣らしていった方がいいだろう、と思った。
約10日後、ミルと引き合わせてみた。緊張した。お互い意外と落ち着いていたことに安心し、僕らはようやく仔猫に名前を付けた。
「空」と書いて「くう」。
当時170gだった体重が、8ヶ月経った今では4.6kgになった。
身体は大きくなっても、まだ子供だ。
独特の「うなぁ」という長く尾を引くダミ声で「遊べ」と催促したかと思うと、次の瞬間にはすでに丸くなって眠っていたり。
甘え方が下手くそで、不器用に何度も頭をゴンゴンとすり寄せることでしか甘えたい気持ちを表現できなかったり。
心配していたミルとの折り合いも、そう悪くはないようだ。たまに派手なケンカもしているけれども。
くうが僕らの生活にもたらしたものは、小さくない。
くうがこの家に来たことで、くうがこの家に来る以前のすべての事柄は、くうによって正当化されることになった。
結婚したことも、大阪に住んでいることも、この家が少々古いことも、結露に悩まされても、家賃が高いことも、すべては正解だった、ということになる。
「そうでなければ、ここにくうはいないのだから」という理由で。
そんな調子で僕らは大概のことを、「それもそうだな」と納得している。
くうは、ちょっと偉大かもしれない。
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