■猫との出会い

わたしの祖母は無類の猫好きでした。
多い時には、5,6匹、近所の猫がちゃっかり交じってご相伴に預かったりもしていましたのでそれ以上の時もありました。
その頃は、そんな生活が普通で特別に猫を意識したりもしませんでしたし、とても猫が好きと言うわけでもなく、かといって嫌いでもなく、普通の風景としてわたしの目には映っていました。
わたしの実家は田舎でしたので・・・ 今も殆ど景色も昔のままなのですが(笑) 猫達は日がな一日をのんびりと家の中で過ごしたり、縁側で昼寝をしたり、気まぐれに遠出をしてみたり・・・
そう、「サザエさん」に登場する「たま」が複数いるような感じでした。 ただ、違うのは、祖母は猫達すべてを「ちい」という名前で呼んでいた事です。
「ちい」と呼ぶと、一斉に猫達が振り向いていたことを思い出します(笑) この名前が好きだったのか、直接聞いたことはありませんでした。
毎日忙しく働く両親に代わって、わたし達姉妹と良く遊んでくれました、そして傍らには、いつも祖母に寄添う猫達がいました。
■運命的な出会い

わたしは社会人となり、一人暮らしを始めていました。
その頃は、技術系のOLでしたので、早朝から出勤し深夜まで、時には休日出勤・徹夜もしながら会社と自宅を往復するだけの日々だったような気がします。
そんな毎日でも仕事は好きでした、仕事というよりも一つのものを創り出す事が好きでした。
毎日がとても充実していて、このまま何も変わらず、永遠に続くのかな、なんとなくそんなふうにも思っていましたし、不安とか迷いとかもなく、それなりに充実はしていたように思います。 そんなある時期にわたしは自宅でフリーランスとして仕事をするようになっていました。
相変わらずの日々を過ごす中で、祖母が心不全で倒れそのまま帰らぬ人となりました。 愛する人の死はとても悲しく、「おばあちゃん子」だったわたしは、食べることも、何かをすることも意識から消えて、涙で明け暮れる日々を過ごしていました。 こんな事ではいけないと思い、近くのショッピングセンターへ数日振りに外出しました。 そして、そこに併設されていたペットショップへ足が向いていました。 その頃は「ペット禁止」の住まいでしたし、猫や犬と一緒に生活するなんて事は考えた事もありませんでした。 雑然とした店内の中の一つのケージが目に入りました、真っ白でガリガリに痩せて、でも元気がいい子猫の青くて大きな目がこちらを見ていました。 寒々とした大きな文字で「売れ残り」「飼い主さん募集」「特価」の張り紙が・・・ そして、わたしがそろそろ帰ろうとする時に「ボクを連れて行って」と声が聞こえたような気がしました。 後ろ髪を引かれながらも帰宅しました。家に帰ってまた、祖母の事を想い始めました、その時、さっき出会った青い目のちび猫がとても気になり、いてもたっても居られず、閉店間際のショップへ駆け込み、このちび猫と生活をすることになりました。

大分後から知ったことですが、このちび猫はショップオーナーの知人が持込んだシャムMIX(いわゆる雑種になります)で飼い主がなければ数日後にちび猫は処分される予定だったと言うことです。 その日も朝から6月の梅雨独特の長くシトシトと降り続く雨が数日続いていました。 青い目のちびはそんな日に出会えたから、雨・・レイン・・れん と命名しました。
その後、れんは名前に反して雨よりも太陽をこよなく愛した「晴れ猫」になりました。
それから数年後、わたしはペットショップの裏事情というか真実を知る(全てのショップがそうだとは思いませんし、そう信じています)ことになり、その後はペットショップへ足を踏み入れることはなくなりました。 ケージの中ですがるように見つめる瞳、疲れ果て隅の方であきらめたように幾日も眠る子達、まだ、何も知らず無邪気に遊ぶ子猫や子犬、その子達すべて暖かい家族に迎えられる保証もなく、人の身勝手に翻弄され、その後の運命を想像すると胸が苦しく、辛くなるからです。
■れんとの日々 そしてありがとう
れんとの共同生活はわたしにとっては、何から何まで新鮮で新しい事の発見でした。

それまでも随分な数の家族猫はいましたが、一緒に生活をするのは始めて、今のようにインターネットは繋がっていましたがほしい情報が殆ど手に入りませんでした。 親しい友人は室内で猫や犬と生活をしている人はいませんでしたので、初めて行く動物病院の先生を信頼し、事あるごとに病院へ通っていました。
最初の健康診断では「小さい子ですね、もっと栄養のある食事をさせてください」 体格=小(大・中・小)わたしの心配も他所に確かにその頃は食は細かったのですが、良く遊び、良く眠り、いろんなものに興味を持ち、わたしの行くところへは何処へでもついてきました、外出すると玄関でいつも待ち、眠るときもわたしのベットの中央を占領しわたしはれんをつぶさないようにベットから落ちそうになりながら端の方で眠る、そんな可笑しくも、楽しい毎日の繰り返しでした、それから約3ヶ月後、大きな病気も怪我もなくすくすく育ったれんは普通の標準的な体格になりました。 わたしはその後、体調を崩し無理がたたったのか1回目のダウン、そして、その一年後、2回目の最後通告のようなドクターストップ、自分の体調管理も出来ないようなわたしがれんを守ってあげられない、そんな事を考えながら約一年程の休業、れんとのんびり過ごし、また再就職をし仕事に復帰する事になりました。 それから、生活環境も変わり、れんは決まった時間のご飯から置きご飯になり、暫くすると、また深夜まで残業をすることが度々あるようになりました、ストレスや淋しさなのか徐々にれんの食欲旺盛振りが出始めました、わたしも一人で留守番をさせている償いの気持ちで欲しがるだけのご飯を食べさせてしまっていました。

それは、今から思うとれんにとっては決してよい事ではなかったのです。 わたしの仕事の関係で、引越しをし、それに伴いれんの病院も2件目になっていました。毎年恒例のワクチン注射と健康診断「ちょっと太り過ぎですね、幸せ太りかなっ 気をつけてくださいね」血液検査も異常がなくその時は注意だけでした。 帰宅しれんと一緒にダイエット始めようねっなんて話をしながら、それ程、深刻には受け止めてはいませんでした。 この年れんは無事4歳の誕生日を迎えました。 それから、れんは生活のリズムにも慣れ、相変わらず食欲旺盛は続いていましたが、その後も定期的に受けていた病院の検診も異常がなく、わたし達は沢山の思い出を作り続けていました。 ペット可のペンションへ一緒に一泊旅行をしたり、初めて一緒に海までドライブしたり、れんは迷惑だったかも知れないけれど、わたしはとても楽しかった。
そんな、ふわふわとしたような、何も変わらないけれど、とても穏やかな日々が過ぎていました。
そして、れんは8歳の誕生日も無事に迎えることが出来ました。 暑い暑い夏を乗切り、その年の暮、12月31日の事でした。 様子がおかしい事に気が付きました。 水をやたら欲しがり、殆ど鳴く事がなかったれんが夜鳴きをし、落ち着かない様子で徘徊し、そうかと思うと懇々と眠り、もっと早くからサインを出していたのに気付いてあげられなかった、なんて愚かなわたしだったのか、れんは恐らく心配かけないようにギリギリまで我慢して耐えていたのかと思うと、涙が溢れてきました。 行きつけの病院へ連れて行き診断は「糖尿病」その病院は入院設備とか検査器具とか整ってはいませんでしたので、内心大丈夫かな、という不安がよぎりましたがその時は、深く考えている余裕がありませんでした。
それから、毎日、出勤前にれんを連れて病院へ行き、帰りは迎えに行くという日々を数週間送っていました、そして自宅でのインシュリン治療と数日おきの通院が始まりました。 しかし、一向に下がらない血糖値・・・ そしてケトン値・・・1ヶ月が過ぎようとした頃でしょうか、先生から「あと、数ヶ月の命です 覚悟しておいてください」と宣告されました。 「そんな筈はない、何かの間違い」わたしはネットで別の病院を探し3件目の病院へれんを入院させることにしました。 2週間の入院を頑張って過ごし先生も驚かれる回復をし、毎日の通院から、1日おきの通院へ、そして3日おき、1週間おきとなり、先生の診断ではU型糖尿病だったのか、急性膵炎だったのか特定は困難だと言われましたが、れんが回復したことには変わりなく、その後は太りすぎの体型を改善すべく先生と相談しながらダイエットに取り組む事になりました。 1年が無事過ぎようとしていた時でした。 けだるそうな表情とまた多飲が出ていました。 悪夢のような日々がわたしの脳裏をかすめました。 その月の検診日には少し早かったのですが、急いで病院へ連れて行きました。 血液検査の結果、血糖値とフルクトサミンの値も高いということで、再度、入院し様子をみることになりました。 わたしは、れんの様子が以前の時とは違うような気がして、なぜか嫌な胸騒ぎを感じていました。1日の入院の翌日に病院へれんを迎えに行きました。 そして自宅療養をさせる事にしました。 でも・・・ 最後の入院・・・ そして

わたしは、この頃からの数日間の記憶が断片的にしかありません。
ショックとあまりにも突然に駆け足で天に旅立ったれんのことを受け入れるには時間が短かすぎて混乱してしまっているのです。弱い心が思い出さないように奥の奥の方に閉じ込めてしまっているのかもしれません、わたしは情けない人間なのです。
断片の記憶・・・
れんが病院のケージの隙間から力を振り絞ってわたしの手を引っ張った事
診察中にわたしの顔を見上げていつまでも見ていた瞳
わたしを見送る時の悲しそうな表情
病院から最後にかかった携帯電話コールの音
先生が心臓マッサージをされている姿
一緒に病院から帰って来たときのやすらかな顔とほんのり暖かな体のぬくもり

胸が張り裂けそうに辛く後悔している事があります。
最後はわたしの腕の中で、わたしと過ごした家で旅立たせてあげたかった。
奇跡の回復をしてくれると信じて病院に預けてきたこと
なぜ、一人ぼっちにしてしまったんだろう
わたしは何か間違った事をしたのだろうか?
わたしは充分な事をしてあげられたのだろうか?
わたしと共に生き幸せだったんだろうか?
今、れんはこの世にはもういないということ、それだけが真実
れんと過ごした日々はわたしにとってとても尊い、言葉では表現し切れない程に大切な時間でした。
どれくらいの日々が過ぎた頃か、不思議な事がありました。
明け方、まだ、暗闇の中で目を開けると天井にそれはそれは暖かで、穏やかなオレンジ色の小さな光が輝いていました。 わたしの心もなぜかとても安らかになり目を閉じようとした瞬間にすっと消えました。 そして「待っている命があるよ」と声がしたような気がしました。
わたしはこれから、ゆっくりとゆっくりと風のように心のままに前へ歩いて行きます。
れん、ありがとう
いつかまた、必ず会おうね!
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