序文 |
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北斗神拳(劉家北斗神拳)は、数ある中国武術の中でも、日本でもっとも知名度が高い門派といえる。 しかし、伝承者も少なく簡単には習うことができ無いためか、知名度の割に発表された書籍が少なく、信頼できる資料としては僅か北斗の拳27冊、別冊1冊、及びそのTV番組総集編3巻が有るのみで統計だった物がない。この研究を開始するに当たり、TV番組全話を見直したかったが、私が住んでいる関東圏では再放送が1度も無いため出来ずにいる。 大学の卒業研究の裏研究として始め足掛け5年、未だ研究途中ではあるが研究の一端を、ここに発表できる事は望外な喜びである。研究当時から協力して頂き、この様な発表の場をも提供して頂いた俺様君にはこの場を借りて深く感謝する。 又、これに続く今後の研究に期待する。 なお、ここに公開する見解は、北東健個人のものであり、北斗神拳一門を代表するものではありません。 |
劉家北斗神拳創始伝説 |
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女人像に刻まれていたという、劉家北斗神拳創始伝説を載せる。 今を去るおよそ二千年前(*1)、天帝(*2)の盾として北斗宗家(*3)はすでに世に君臨していた(*4)。 そして世は天帝を喪失(*5)したため、戦国時代に突入してしまった。 その戦国時代目の当たりに、北斗宗家を守護する高僧(*6)たちは困惑し『覇者多ければ世もまた乱れる、覇者は一人にしなくてはならぬ』と考えた。 そして彼らが望む覇者とは北斗宗家の血を引き、かつ新しき無敵の暗殺拳を創始できる男、その男こそが真の救世主となると信じた。 しかし折しも北斗宗家は男児に恵まれず、その血を次ぐ者は、オウカ、シュメという名の二人の姉妹のみであったが、皮肉にも二人は同じ日にそれぞれリュウオウ、シュケンという待望の男児を生み落とした。 「このまま二人を同等に育てると、また二人の覇者を生み天を国を二つに割ることになる」と高僧たちは苦慮し、降天台に二人の乳児を置き、あえて狼にさらし天の声を聞こうとした。 降天台とは北斗宗家の始祖が神の剣を握ったとされる聖地で、そこで生き残った赤子こそがすなわち始祖の意を受けた北斗宗家伝承者としようとしたのである。 しかし、病に冒され先が長くなかったシュメは、我が子を助けに降天台に向かい、オウカ、高僧たちに見つかってしまう。 そこで、初めてオウカはシュメの病を知り、伝承者をシュケンに譲ると宣言したが、高僧たちは聞き入れなかった。 するとオウカはその場で身を投げて訴え、その身を賭した深き慈愛に高僧たちも動かされシュケンを伝承者とした。 シュケンは期待通り北斗宗家の拳を元に北斗神拳を完成創始した。 また、その拳はあまりの凄絶さとその伝承者選びの秘話故に一子相伝とされた。
上記が記録に残されている、北斗神拳創始伝説である。 ![]() |
拳法の類別 |
一般的に『南派拳術/北派拳術』、『内家拳/外家拳』、『技術による分類』等といった分類をされている。
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他の門派との交流 |
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北斗神拳に影響を与えた、または交流があったと思われる門派を考察してみる。 北斗神拳は様々な技術があるが、特にトキが得意としていた柔法に着目してみる。 ケンシロウがレイにトキの事を初めて語るとき、回想した姿勢を見る。 ここでは4姿勢が出てくるが、いずれも陳家太極拳の老架式に含まれる動作である。 各姿勢は、当然それぞれ太極拳以外の門派にも様々な形で見られる動作ではあるが、ここに現れる全てがそのまま陳家太極拳(老架式)に含まれるところを見ると、この門派が少なからず北斗神拳に影響を与えたと考えてよいのではないだろうか?
しかし、私の見る限りでは、このシーン以外ではトキを始め、北斗神拳士が太極拳の技を使うのを見たことが無い。 どちらかと言うと太極拳の様に相手に密着したするより、距離をおいた位置での間合いが多い。 どちらかというと太極拳より正反対の風格を持っていると思う。 ただトキが柔法が得意なため、個人的に兼習していただけで、ケンシロウがその動作を印象深くとらえて記憶していただけかもしれない。 「本来ならかれが北斗神拳の伝承者になるべきはずの男だった…」と言った後の回想シーンなため、 ![]() |
特殊訓練 |
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中国武術には硬功、軟功、気功、軽身功等併せて修行する門派も少なくない。 特に軽身功は近代でも、八卦掌の様に清の紫禁城を警備する者たちには必須で有ったとされる。 なぜなら、紫禁城の様な広大な宮殿を馬に乗らずに警備しなけらばならないからである。 また紫禁城は皇帝の住居な為、敵がせめて来たときのために、高い塀に何重にも囲われており、門を開けながらでは警備がおっつかないからである。
さて北斗神拳であるが、天帝守護の拳、天帝の戦車と言われている。 天帝が何を指すのかは不明確であるが、仮に時の皇帝を指すものだとうしよう。 漢王朝の皇帝の住居がどの程度の物かは調査中であるが、前王朝の秦王朝の始皇帝の物を考えても、広大な敷地を有していた事は間違いないだろう。 その敷地内を警護しなくてはならず、特に暗殺拳として受け継がれて来た北斗神拳には軽身功は必須であったと思われる。 現にケンシロウはその人間離れした跳躍等を披露している。 又、元斗皇拳、南斗聖拳も同上の理由より軽身功は兼修されていたようだ。 ![]() |
試説 北斗神拳は福建少林拳? |
私が研究して来た所によると、北斗神拳は福建少林拳ではないかという所に行き着いた。 福建少林寺自体が伝説の域を出ない物であるが、様々な点が無理なく符合するのである。 その根拠となるところを以下に述べる。
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参考文献 |
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