花火って、こんなにきれいだったんだ。
 私の家のベランダは東側にあるので、津田の納涼花火大会の花火がよく見える。東隣りの家が半年ほど前に解体され、新しい家が建つでもなくそのままになっているので、今年の花火は格別よく見えたのである。
 いつもは物干し場としてつかっているベランダも、洗濯物を片付けると立派な夕涼みの場所になる。夜風を浴び、暑かった今年の夏のいろんなできごとを思い出しながら、夏の終わりの花火を楽しんだのであった。
 木造二階建の我家のベランダは、当然木でできているので、夏に素足で上っても熱くなく、逆に冬は温かくて気もちがいい。もうかれこれ20年ほど経っているが全然傷んだ様子もない。フトン干しや淡路島の知人からいただいた玉ねぎの乾燥場としても役立っている。

そして、これはもうベランダなしでは考えられないのが、蔵書の虫干しである。家にあふれている本をかわりばんこにベランダに出す。床はスノコ状なので下からも風がまわり、とても具合がいいのである。ベランダに懐かしい本を並べ、風を当てながらページをゆっくりとめくる。私にとって至福の時間なのである。
 最近、アルミ製のベランダをよく見かける。冷たくてうすっぺらで、なんだか見てはならないものを見てしまったような気がして、思わず目をそらしてしまう。日本の町の風景が悪くなってしまったのは、あのアルミのベランダのせいではないだろうか。やっぱりベランダは木製がいちばんだと思う。
 さて、ベランダといえば、村上春樹氏の『ノルウェイの森』の中にとても印象的な場面がある。
 緑色の服が似合わない緑さんの家に遊びに行き、お昼ごはんを食べた後、僕と緑さんはその家のベランダに上がる。突然近所が火事になり、その火が迫ろうかというときのふたりの会話。
 「一緒に死んでくれるの?」と緑は目をかがやかせて言った。「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。夕食ならともかくさ」。その後ふたりは口づけをする。こんなオシャレな会話の連続で物語が進んでいく。
 ベランダはきわめて家庭的で実用的な空間でありながら、同時に空想の世界への入口でもある。。

 建築家 野口政司
 
2008年8月26日火曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より

ベランダ
野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates