宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」の構想を練ったのは、広島県福山市の鞆(とも)の浦であった。港を見渡せる小高い丘の上の古い民家に二ヶ月間滞在し、一人で自炊しながら、海を眺めてスケッチしたり、町や林を散策して過ごしたそうである。
 宮崎監督がとても気に入ったこの町は、古くから「潮待ちの港」として栄え、常夜燈、雁木(階段状の石積みの船着場)、波止、船番所跡、焚場跡(たでばあと。船底を焼いて船の耐久性を高める)などが残され、江戸時代の港の形を今に伝えている。


 また景観の美しいことでも知られ、江戸時代に寄港した朝鮮通信使が“日本で最も美しい”とたたえた港町であった
 この景勝の地、鞆の浦を埋め立て、橋を架けようとした広島県と福山市に対して広島地裁が「待った」をかけた。
 能勢顕男裁判長は「鞆の浦の景観は住民らの利益にとどまらず、瀬戸内海の美観を構成し、文化的、歴史的価値をもつ国民の財産ともいうべき公益」と指摘し、道路や駐車場を整備することが景観保全を犠牲にしてまでの必要性があるか「大きな疑問が残る」とした。大型公共事業に対して景観保全の面からストップをかけた初めての判決である。
 判決の翌日、宮崎駿監督が記者会見で述べた次の言葉が印象的だ。
 「とても良い判決がでて、これは鞆の浦だけでなく、今後の日本をどういうふうにしていくか非常に大きないい一歩を踏み出したんじゃないかな」。
 「崖の上のポニョ」の最初にトロール船が海の底をさらう場面がある。そこはゴミのたまり場で、これまでの海と人との関係が象徴的に示されている。海を開発の対象として目いっぱい利用したあげく、最後にゴミ捨て場にしてしまう。日本の海ぞいの都市ではあたり前のような風景であり、残念ながらこの徳島においても・・・。
 さかなの子ポニョは、それでも人間の宗介と一緒に生きたいと願う。はたして私たち人間はポニョとの約束を守ることができるのであろうか。

 建築家 野口政司
 
2009年10月19日(月曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より

野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates

崖の上のポニョ