「・・・さながら水に浮いた灰色の棺(ひつぎ)である。」(北原白秋『おもひで』)
 それは7月の終わりから8月にかけての一夏の出来事であった。卒業論文の執筆のためにある町で過ごすことになった青年の手記の形で物語が進んでいく。
 福永武彦の小説『廃市』は、福岡県の柳川と思われる堀割のめぐらされたある架空の町を舞台にしている。町そのものが水の中に沈んでいくような古い町の旧家の美しい姉妹の物語である。福永は、柳川のとなりの町の生まれだが一度も柳川を訪れたことはない。柳川出身の詩人、北原白秋の写真詩集『水の構図』に写された柳川を眺めてこの物語を生み出したという。

 この小説を映画化したのが大林宣彦監督。もう10数年も前のこと、貞光町(現つるぎ町)で町を上げて映画祭をやっていた頃、大林宣彦映画祭で初めて『廃市』を観た。しっくいと重層うだつの古い町並みとこの映画の雰囲気が妙に解けあっていたのを思い出す。
 『廃市』は、大林監督が16ミリフィルムで自主制作したもので、彼の他の商業映画が全て忘れ去られたとしても最後まで残る作品だと思う。主人公の安子を小林聡美、そして義兄の直之を昨年亡くなった峰岸徹が演じている。ふたりとも他の人では考えられないぐらいはまり役である。特に峰岸徹は、そのあやうい色気が匂い立つようだ。
 人は自分でも知らないうちに人を愛している。気づいたときにはもうその人はいない。そして二度とその時間を取戻すことはできない・・・。
 『廃市』は滅びいく美しい町と、そこに生きる男女の哀しい愛を心にしみるように、そしてミステリアスに描いている。水天宮の夏祭りの夜、掘割に浮かぶ船舞台で演じられる歌舞伎芝居は幻のように美しい。
 福永武彦は結核や胃潰瘍などに一生苦しみ、61歳で亡くなるまでに26回もの入院や療養をくり返した。名作『草の花』などに結核療養所での生活が描写されている。大林宣彦監督はこの長編小説『草の花』を一言一句そらんじる程福永文学を愛していた。そして念願の福永文学初の映画化を『廃市』で試みたのであった。
 人の生は、淀んだ運河(死)と表裏一体であり、だからこそキラキラと美しい光を映し出すことができる・・・。
 映画『廃市』は福永武彦の文学のテーマを見事に描き出している。

 建築家 野口政司
 
2009年8月3日(月曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より

廃市

野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates