「川が見えるだろ。この川は患者たちを閉じこめているんだ。」
 パーティを抜け出したエルネストは川に飛びこんだ。めざす向こう岸にはハンセン病者たちの村があった・・・。
 若きアルゼンチン人の医学生エルネストと親友のグラナドスは、中古のオートバイに乗って南米大陸を旅行する。旅の途中出会った多様な人たちの生活、そして社会の矛盾は、青年たちの人生を大きく変えることになる。
 映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、キューバ革命を成功に導き、その後ボリビアの山中でゲリラ戦を指揮していて、CIAの工作により殺されたエルネスト・チェ・ゲバラの若き日の姿を描いている。ゲバラ自身の『モーターサイクル南米旅行日記』が原作で、ロバート・レッドフォードが思いをこめて製作総指揮をしたものだ。
 チェ・ゲバラが殺されたのは、1967年10月9日。永久革命家として名を残すことになるのだが、このときゲバラ39歳、世界中が騒然としていた時代であった。
 中国では文化大革命の嵐が吹き荒れ、ベトナム反戦運動が広がった米国では、フラワーチルドレンがペンタゴンの憲兵隊の銃口に花をさした。パリでは学生たちの5月革命が全国規模のゼネストに発展。そして、日本では全国の大学がバリケード封鎖され、東大安田講堂の攻防戦へと続いていった。
 「世界に第二、第三のベトナムを」とキューバを離れ、世界各地を転戦したゲバラであったが、ついにベトナムの勝利(1975年)を見ることはできなかった。
 1959年、キューバの代表として日本を訪れた。翌日のスケジュールが決まっていたにもかかわらず、ゲバラは大阪のホテルを秘かに抜け出した。夜行列車で広島の原爆記念公園を訪ね、慰霊碑に献花をしている。そして「日本人はこんなひどい目にあわされているのに、どうしてアメリカの原爆投下の責任を問わないんだ」と憤ったという。
 ゲバラはぜんそく持ちでもあった。2歳の時にぜんそくの発作をおこし、一生を通じて彼を苦しませるのだが、それでもラグビーが大好きな青年であった。試合中に発作を起こしても酸素吸入をし、またグランドに戻ったという。
 サルトルから「20世紀で最も完璧な人間」と呼ばれ、「世界で一番かっこいい男」とジョン・レノンに言われたチェ・ゲバラ。もうこんな男は現れないのかもしれない。
 久しぶりにラグビーボールをけってみたくなった。

 建築家 野口政司
 
2009年2月9日(月曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より

モーターサイクル・ダイアリーズ

野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates