住井すゑ 『橋のない川』 新潮社
 
  昭和時代が終わったのは、ちょうど20年前の今日である。1989年1月7日、昭和天皇が亡くなった。在位64年、87歳と長寿であった。
 その天皇よりも長生きするのだ、と作中の人物に言わせた作家の住井すゑさんは、それより8年後の1997年に亡くなった。95歳であった。
 代表作『橋のない川』で住井すゑさんは、いわれのない差別に苦しみながらも、それを乗りこえていこうとする小森部落の人たちを描いた。
 水平社設立までを書いた第1〜6部を完成させた後、20年後の1992年に第7部を書き下した。大正天皇の亡くなるところまで書きたいというのが、第7部執筆の原動力であった。
 そして、第2次世界大戦の沖縄戦まで、神格天皇の終焉をラストに『橋のない川』全8巻を完結させるつもりであったが、住井さん自身が言う「時間切れ」のため未完に終わっている。
 第1〜7部あわせて800万部を超えるベストセラーになった『橋のない川』。被差別部落の解放と人間の尊厳、平等を訴えるこの小説が、なぜこんなに読みつがれるのかについて、住井さんは次のように語っている。
 「人間の愚かさを遠慮なしに書いているからです。人間社会の中で、日本の部落差別ほど、ばかげたことはない。深刻でこっけいで、考えようによっては、これは笑い話ですよね」と。
 6歳のとき、奈良の住井さんの家の近くで陸軍大演習があり、天皇が来た。その天皇のもらしたものを拾ってきて家宝にするんだという話を近所の農民がしているのを聞いた。なんだ神といわれている天皇も自分と同じように排泄するんだ、人間はみんな同じなんだと悟ったのが出発点であったという。
 さて、このごろの日本は、人と人の関係が冷たい。新たな差別構造をつくり出しているように思える。『橋のない川』は、大地に根ざして働く農民と、力を合わせて生きていく家族の姿が温かいまなざしと美しい文章で描かれている。こんな時代だからこそ読んでみたい小説である。今日、1月7日は住井すゑさんの生まれた日でもある。


 建築家 野口政司
 
2009年1月7日(水曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より

野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates

橋のない川