千句の里
文明8年(1476)3月6日より3日間美濃国表佐阿弥陀寺に於いて連歌の巨匠飯尾宗祇、師の専順ら16名が連歌の会を催し、「美濃十花千句」を読む。後に「表佐千句」「河瀬千句」と呼ばれ、この地を千句の里という。
宗祇の師である専順は、応仁の乱を避けて美濃国の守護代齋藤妙椿の革手城に身を寄せていた。宗祇は郡上郡の大和篠脇城主東常縁に古今集の講義をうけるため、京との往還の途中、度々専順を訪れて、連歌の会も開いている。文明8年(1476)に表佐に立ち寄り河瀬邸で連歌の会を開催した。
宝永8年(1711)正月に阿弥陀寺第27世住職敬誉上人が「美濃十花千句」をまとめ写本した。これが大阪天満宮に現存している。
近年、先師を偲び毎年春季に千句の里顕彰句会を開き、俳句会は毎月行われている。
(歴史のまち垂井町の文化財より
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