ラーメンとは拉麺と字で書く様に、麺 (小麦粉) を引っ張る (拉) という料理だ。定義は結局これだけであり、それ故に現在では多種多様なラーメンが存在する。麺の太さ・固さ、スープの味、トッピング、それらの組み合わせは無限と言っても良いだろう。
自由とは、私たち人間が自らの意思に従って行動する事を指す。これは生来与えられている自然権であり、これを他の誰もが犯す事はできない。つまり、自由を唱える者は、その自由が尊重されねばならないのである。それは例え国家であれ権力であれ、いかなる暴力であれ、公共の福祉に反しない限りは最大限尊重されねばならない。
ラーメンにも、もちろん自由は存在する。食べる自由、作る自由だ。普通は食べる者の自由が尊重されそうな世界ではあるが、時として作る者の権利が激しく主張される場合がある。例えばこうだ。
船橋ないし習志野のとある場所のとあるラーメン屋。店前にびしりと置かれた看板を見よ。
食物と自由は、必ずしも相容れるものでは無いと私は考える。何故なら、調理における完全なる自由の希求は、即ち料理の福祉に反するのである。言い換えれば、料理が不味くなる。
だがこの店は、敢えて自由を唱えた。ホッブス的な料理に対する絶対主義の弁護を許さず、ジョン・ロック的な自由を主張した。これは言わば、料理における市民革命といって良い。この精神はいずれ、料理界のフランス革命、独立革命に影響を与えるのだが、それはまたいずれの話にて。