あれは忘れもしない、2006年の9月16日。夕暮れの風に涼しさを感じ始めた頃、私は葛飾区立石に赴いていました。旧知の友人と酒を酌み交わす約束を果たすために。
あの日私は約束よりもずいぶん早い時間に着いてしまったため、立石の街を散策する事にしたのです。丁度祭りの日だったらしく街は多くの人で賑わい活気に溢れていました。そんな中余所者の私は道の端を、じゃまにならぬ様に歩いていたのです。
すると、私の目の前に、古めかしい建物が姿を現したのです。
その建物には、王朝と記してありました。日本に王朝があったとすれば、それは平安時代中期以降の朝廷と、もしくは琉球王朝を思い浮かべるものですが、まさかこんなところに王朝が現存しているとは、私は予想だにしていませんでした。
書き文字は日本語ではあるが、独特のシェイプである。
日本と語圏は同じだが、別の文化が根付いている可能性が高い。
こちらはゴシック体の文字で書いてある。
この事から日本の文化も併せ持っている可能性が高い。
日本から枝分かれし、独自に文化を発達させた可能性もある。
この言葉からして、きっとヘアスタイルには並々ならぬこだわりがあるのだろうと私は考えた。私が思うに、きっとマリーアントワネットやルイ13世、もしくはヨハン・セバスチャン・バッハの様な、豪奢なヘアーに違いありません。
もし、もしもです。王朝ヘアでなく、ヘア王朝だったらどうでしょう?きっとヘア解禁と言わんbかりに、下半身を露出するのが王族の印といった王朝かも知れませんね。
まあそんな王朝は、革命が起きて滅びるに決まっていますけどね。
きっとバッハみたいなカツラしか置いてないと思います。