この煙突が煙を吐き始めるためには、大きな外力が働いたに違いない。
そしてこの煙突が煙を吐き続けてきたのは、まさしく慣性運動である。
そしてこの煙突が煙を吐くのを止めるにも、大きな外力が必要だったに違いない。
また、そこに働いていた人たちの心中にも同様に、慣性力が働いたに違いない。
そこに生活があり、そこに人生があり、そこに思い出があり、
この煙突を中心に、その人たちは生きていた。
それらの基盤は、破壊されてしまった。
今これを書いている間も、破壊の音と揺れが私の元に伝わってきている。
時の流れとは、残酷なものである。
そして私の心中にも、慣性力は働いていた。
嫌いなものであっても、今までそこにあったものが無くなるという事は、大なり小なり寂しさを感じさせるのだろうか。
それとも、私が刻んできた時間の中に、無意識に入り込んできていたのだろうか。
私は、この煙突の姿を写真に収めておく事にした。