確か土曜の朝だったと思う。TV のスイッチを入れて適当に flipping していると、NHK アナウンサーのやや興奮した声が私の耳に入ってきた。"あそこ、アレです、ちょっと明るく光っています。" そうか、あそこが光っているのか。蛍光塗料でも塗ったのかそれはさぞかし目立つだろうって何の話しか。そうじゃない。
どうやら清洲橋付近のさる場所に、芭蕉の像が立っているらしいのだ (あ、ここは当然ダジャレなのでその様に突っ込んでおくべき箇所)。どうやらこの付近は、奥の細道の旅に向かう前に松尾芭蕉が住んでいた場所らしい。付近には記念館や資料館があり、土地と芭蕉の由縁を伝えている。
その土地の隅田川沿いに芭蕉像は立っており、船の往来を見守っているんだとか。そしてその像は、時折回転するのだという。誰だ、芭蕉像をそんなアヴァンギャルドな仕様にしたヤツは。
別に芭蕉に興味があるとか、年を取って俳句に目覚めたとかではないのだが、暇つぶしに、バイクのバッテリー充電のために、ちょっと一っ走りしてくることにした。
場所は両国から少々南に下ったあたり、家からの距離はせいぜい10km。バイクで30分もかからない場所だ。しかし行った事も無い場所なので、不安はあった。しかしいつもの野生の勘で、目的地へ到着できた。
清洲橋のたもと付近に到着した。護岸の壁に階段を発見。
と思ったら、壁の模様だった。どうやら以前あった階段を埋めて、この護岸は作られたようだ。
護岸の上に上がる。北に清洲橋が見える。
南には高速深川線。
川岸へ降りてみた。どうやら西岸が右岸と呼ばれている様だ。
あと 3km 下れば海、か。行ってみるのもいいが、汚い東京湾をわざわざ見に行く事もあるまい。
どうせお台場だし人多そうだし、第一風情に欠ける。
岸のフェンスには救命具が。
川の中には避妊具が。
等と汚いモノを撮影していると、今度はキレイなものが目に入る。何とも未来チックな船が目の前を通り過ぎて行きます。
しばらく芭蕉像を探していたのだけれど、一向にそれらしい物体に遭遇しない。ひょっとして対岸にあったりするのか? 何となくそんな気がしてきて、バイクへ戻る事にした。
護岸から戻ってバイクへ向かう。すると、大変な事に気付いた。
ああ、またやってしまった。しかもまたしてもオイル・サーディンとは。俺の前世に、オイルサーディンと何か因縁があったのだろうか。
バイクへ戻り、高速下の橋を渡り、対岸へとやってきた。しばらく歩いていると、何とも風情のある場所へと辿り着いた。
鳥の巣箱かと思ったら投句箱。うっかり川柳なんて入れちゃったりするときっと大恥をかくハメに陥るに違いない。
きっと奥の細道をイメージしたと思われる石段。風情はかなり良い。
設置面を見てみると、かすかに隙間がある。こやつが回転するという噂はやはり本当らしい。
すると台座が開閉できて、鍵が掛かっていたりするのがちょっと残念。
ちょっとカッコよさ気に。ハードボイルド・芭蕉。きっとスコッチとか飲む。
思う存分芭蕉を堪能した私は、芭蕉庵を後にした。そしてバイクへ戻ろうと歩を進めると、お稲荷さんが見えた。
何と実はおできの神様。でもこの場合、良い神様なのか悪い神様なのか判別がつかないね。
深川といえば、高校受験の学区内だったはずだ。しかしこの地も、実はほとんど足を踏み入れたことがなかった。しかもこんな所に半蔵門線が通っていたり、そのまま北千住へと伸びていたりするなんて、考えもしなかった。
そしてまた、この界隈が中央区に川一つ挟んでいる割に、自然が残っていてそれでいてちょっとした古めかしさを保っているという事を、初めて知った。もちろんほとんどは開発されて四角い建物が林立してしまってはいるが、何と言うか、心のよりどころはそんな近代的なものではなく別のところにある、そんな雰囲気が漂っている気がした。
私はそういう東京が好きだ。白いコンクリの壁だけの、まっちかくな建物と人気のない街並みも、ネオンばかり輝いていてギラついた街並みも、好きにはなれない。この土地にはちゃんと人が住んでいて、人らしく、人として、生きている。そういう生活感のある、生きた街が好きだ。都内の主要部はもうそんな場所ではなくなってしまったかもしれないけれど、まだまだこういう、生きた街はあると思うし、ずっとあって欲しいと思う。本来の東京を失わないで欲しいと思う。