about : 幸か不幸か

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幸せって何だろう。もしくは、どう感じるんだろう。いつ感じるんだろう。

幸せなんてものはあくまでも主観が決めるものであって、
他人のお仕着せの価値観から生まれてくるものじゃない。
だからもし他人が "ああ、あの人は不幸せね" なんて言っても
もし自分が不幸でないと感じて居るなら余計なお世話だし、
"ああ、あの人はかわいそうだ" なんて言っても、哀れまれる
事の方が、むしろ迷惑だ。

幸も不幸も、自分勝手に感じればいいんだ。

さてこの幸と不幸だが、感じるのはきっと、その幸や不幸と
関連付けられた事象が発生した後でなければ、きっと感じる
事はできないだろう。多分、きっとこんな確率であんな事が
起こるだろう、ああ幸せだ、なんて思う人は居まい。

幸せは今以降に感じられる、という事に、まずしておこう。


次にこの幸せだが、これは個人の主観で決まるものだ。
それは個人の価値観から生まれるものだ。例えば他人の
価値感によって幸せと判断される様な事が起こっても、それが
必ずしも幸せと判断されるとは限らない。

そして困った事に、この価値観というものは特定個人においても
時間によって変化する場合がある。子供の頃にピーマンや
しいたけを食べて幸せを感じる事はなかった私だが、
今はピーマンやしいたけで幸せを教授する事ができる素敵な
体質を体得した。これがまた幸せだ。

この様に、人の価値観は変化する。


さてここで、先に述べた 3つの事象をまとめてみたい。
  1. 幸せは今以降に感じられる
  2. 幸せは個人の価値観によって判断される
  3. 個人の価値観は変化する
これらの論理積を取ると、多分人が真に幸せを感じられるのは
最終的な価値観が決まってから、つまり、死の間際の刹那か、
それ以降、死んだ後なのではないだろうか。

そして多分、その人が幸せだったかどうかはその人しか分からず、
だがその人は既に死んでいて、その人が幸せであったかどうかは
他人には知ることはできない。

そして今不幸だと感じているからって、以降ずっと不幸だとは限らない。
100年後にはトータルで幸せだって思ってるかもしれない。


ただ一つ最も重要なのは、生きていたという事実なしに、
幸も不幸も感じ得ないという事だ。
生きている者にしか、幸せを感じられる可能性はないのだ。
−以上−

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