さる理由で、昔のファミコンのコントローラを写真で見た。 そこにはマイク等もあったにせよ、スタート・セレクト・十字キー、 そして Aと Bの二つのボタンがあった。 機器の入力系がこの様にシンプルなため、ソフトのインタフェースには 自ずと創意工夫が求めらる。 一方、今手元にある PS2 等はどうだろう。A Bボタンに替わって、 親指操作用に 4つと、左右人差し指もしくは中指用に 4つのボタン、 計 8個に増えている。 入力系が増えた分、複雑なインタフェースを簡単に構築できる様になった。 だが、実際にはまだまだ入力系は足りていないんじゃないかと思う。 数としても勿論だが、機能として。 どんなにボタンを増やしても、結局はボタンを押すというだけの、スイッチが インタフェースになっているだけだ。マウスを付けたって、結局は ゴロゴロと球を動かしてスイッチを入れたり、光で動きを検出しているだけだ。 Wii コントローラだって、ジャイロ積んでるだけじゃないか。 本当にしなきゃいけないのはそういう事じゃない。いかに遊べるかだ。 系を複雑にして、その操作に達成感を覚える事はあるかもしれないが、 それはただそれだけの事。それをやって楽しいか、とは次元が違う。 何でゲームをやるんだろう。ゲームそのものをやりたいのか、暇なのか、 色々理由はあると思うけど、結局は脳にとっての面白い経験なんじゃないか。 脳にとってのインタフェースとなると、それはやはり人体な訳で、多分 最良のインタフェースは人体なんだろうと思う。そういう意味では、 機器を通して体験するゲームではなく、実体験こそが一番の遊びなのだろう。 ただ、それが実体験で得られれば別にゲームなんていらないんだろうけど、 得られないからゲームから得ているだけなんじゃないか。 時間がないとか相手がいないとか、実現不能な環境とか。 となると、機器を通すしかないか。 その場合、入力系は複雑であるべきなんだろうか? 機器を通すのなら、人体という最良のインタフェースは使用できない。 ならいっそ、より複雑にして人体を模すか、よりシンプルにしてボタン 1個 にするか、究極はこの 2つになるんじゃないか。 もしボタン 2つで面白いなら、その方が素晴らしい事なんじゃないか。 そういう意味で、昔のファミコンのボタン 2つってのは貧しいながらも よくできた入力系だったんだなと思う。 |
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