気恥ずかしい: embarrass この単語に触れる度、高校時代のさる英語教師を思い出す。 彼は何故かこの単語を愛していた。授業でこの単語に触れる度、 必ず 2度 3度と発音練習をさせていた程だ。 ちなみに彼は声が小さく、常にマイクとスピーカを持ち歩いていた。 多分、この単語は彼自身に通づるものがあったんだと思う。 昨日、大学時代の仲間と酒を飲んでいると、彼はやおら "お前結婚しないのか" と切り出してきた。 この手の話題は、私は苦手だ。 なにしろもういい歳だ。親からは嘆息交じりにこの手の話を され続けている。 しかし、そんなもの相手あってのことで、 そんな相手ができたらする、と言い逃れるしかない。 その折も、やはりそう応えるしかなかった。 でもそれは、そうではない。 彼は彼で、その話をしたかったのだ。 つまり、そういった事で思うところがあった訳だ。 ちょっといい娘がいて、その娘と懇ろになろうか、と。 いい話だ、とりあえずやってみろよ、と肩を押した。 どうなるかなんて分りはしないが、良い方に進めばと思う。 そこで自分を振り返ってみる。 女を好きになる、そんな機会はぐっと減った。 ガキの頃ならちょっと可愛らしい娘がいれば、 そんな娘に熱くなったりもしたものだった。 しかし高校の頃を境に、外見で女を好きになる事ができなくなった。 むしろ、美しい薔薇には何とやらで、外見の良い女には 警戒する位だ。女の顔の表と裏を知ってからは、 どうも信用できないのだ。特にあの景気のよかった時代、 高校の頃にそりの合った女 (恋愛対象ではなかった) と 卒業後に会ってみたら、そいつが男を手玉に取っていたりした のには愕然となった。結構気のいい女だったのに。 女は外見じゃない、まずは気立てだ。 でも、外見を全く考慮しないかと言えばそうではないだろう。 少なくとも種が違う場合はさすがの私でも愛を育むことはできまい。 (チンパンジーは染色体レベルでは人間とほぼ一緒だというが、 彼女(?)らと愛を育むことはできるだろうか? 今度機会があったら実験してみたい、とは思う。) では私はどんな容姿が好みだろうか… 身長は気にしないな。 顔のタイプもとりわけ好みはない。 痩せていてもいいが、ちょっとくらい丸くてもいい。 …俺ってつくづく好みないなー。 そうだ、輪郭だ。今思うと、私は輪郭フェチかもしれない。 頬はややまるく、それでいて顎先までキュっとしまっていると特に良い。 例えその中のパーツが古谷一行の様であっても、 恋に落ちる可能性は十分ある。 しかしそれよりなにより、私にはその人の人となりの方がよほど大切だ。 私と同じ目線で物事を考えてくれたり、 私が下らない事を言う度に笑ってくれたり、 私が凹んでいる時にちょっと優しくしてくれたり、 私が間違った事をしている時に異を唱えてくれたり、 私が気付かなかった事を指摘してくれたり、 私の目を覚まさせてくれたり、 それだけでいい。 とりあえずこの人が近くに居てくれたら、 俺の人生、ちょっと楽しくなりそうだ、 そんな人が、いい。 そんな人がいてくれれば、と思う。 |
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