about : 伝えたかった事

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かなり自己中心的な文です。意図せず dl してしまった方、申し訳ない。

 文字を媒介して表現するものは幾つかある。mail、Web Page、本など。
でもそれらには必ず、2つの不確定性が混入する。

 一つは書き手。
 一つは読み手。

 書き手には注意しなければならない事がある。それは、書いた文書が
どう理解されるかを考えながら書かねばならない、という事。せっかく
書いた文書も、理解してもらえなければ台無し。最悪は異なった解釈を
されてしまう事もある。そのような誤解を招く最たる原因は、考える事と
書く事の違いだ。考える際は、事前に書く事の情報が脳に蓄積されている。
それらを整理し、組み合わせるのは一瞬の事だ。しかしそれらは像でしかなく、
それを表現するには文書への変換をしなければならない。その際、文書では
表現できないものがあれば、変換において情報落ちが発生する。そしてさらに、
文書を書くスピードは、文書を考えるスピードより遅い事が多い。ここで
心理的な理由で情報の間引きが行われる事がある。これらが発生すると、
よほど読み手と書き手に情報の共有がなされている場合を除いて、
誤解されてしまう。
 間引かれた情報を受け取った際、読み手はその情報の補完を余儀なくされる。
しかし書き手が落としたり間引いたりした情報が読み手になければ、
補完はできない。この時、その文書は理解されない。また同様に、
異なる情報で補完された場合、その文書は誤解される。

 上のかたまりを端的に表現すると、書き手の脳から読み手の脳へ文字による
情報の伝達を行う場合、そこには 2つのフィルタがかかる、という事です。
文書で何かを伝えるという事は、書き手が間引いた情報を、読み手が変換し、
書き手が伝えたかった事の写像を読み手の脳内に形成する事なのです。

 不確定性が入るのは、不確定性理論と通ずるものがありますね。
これは私達が観測に基づいて外界を認識する限り避けて通れないのでしょうか。

 文書でものを伝えるというのは、結構高等な事なのです。

 それが mail になるともう大変。直接話すときは相手の反応を伺いながら
その表現、内容を補正する事ができます。しかし mail 作成中に読み手が
介入できない場合が殆どですから、作成過程で補正はかけられません。
もし適切な表現・内容でなかった場合、その mail が読み手に作る写像は、
元の伝えたかった事ととんでもなく異なってしまう場合があるのです
(例えば 1km先の目的地への道が 1° (1.7%) ずれると、目的地から 17m も
ずれてしまいます)。

 ですから、私は mail やら Web Page を作成する際、細心の注意を払うように
しています。改行をできる限り適切なところに入れるよう配慮しています。
一字一句、句読点の数、位置も熟慮してしまいます。例えば次の 2つの文は、
読点の位置の違いで、表現している内容は異なります。
 私は、正しいと思う
 私は正しい、と思う
これをただ "私は正しいと思う" と書いてしまうと誤解されかねません。
そしてまたそれだけ注意していても、誤字入ったりおかしな文になっていたり
する事もあります。ヒトってやっぱり完全にはなれないのですね。

 どんなに苦労をしても、結局伝えられるのは写像だけ。これをできる限り補正
するためにも直接会って話せればよいのですが、なかなかそうもいきません。
故に私は今日も文書を書くのです。そして mail を送るとき、html を up するとき、
こっそり願掛けするのです。

願わくばこの思いがあなたに伝わりますように。


 読み手の方に不快感を与えかねない内容ですので書くのを躊躇してましたが、
思うところあり、これをここに記す事にします。

−以上−

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