about : 負帰還

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 人の心とは移ろいやすいモノでして、今日の真実は明日の虚構
とでもいうかのようにころころと転がるものですね。特に時間が
経つと、どんなに強い思いでも、何でそんな風に思えたのかと
疑問にさえ思う始末。

 心理学なんかではその辺を織り込み済みらしく、心理テストでは
1つの事象を切り口を変えて質問してきます。そこでは相反する答えを
要求しているのですが、そこへ意図的に答えを揃えてしまったりすると
心の制約のきつい人物となってしまいます。ちなみにこの心の制約の
強い人と判定されると、分裂病の兆候有りなどと診断されてしまいます
ので、その様なことなく敢えて普通の人の振る舞いを頭に浮かべて
お答えする事をオススメします。あ、何か脱線してます。

 そう、心移りはあって当たり前な訳です。では、心移りで嘘になった
強い思いは何故起こるのか? もし心が移ろいやすいなら、その思いも
移ろうはずではないのか。何がそんなに私を突き動かすのか?

 心には心のフィードバックが働くのでしょう。または脳内で或る事象を
反芻する事によりその情動の波を重ねあわせ、思いの振幅を増大させる
のでしょう。つまり、強い一つの情動のループにに囚われてしまう。
もしその情動が無くなったり、弱くなれば、別の情動のループへ移る、
即ち心移りが起こるのでしょう。

 またフィードバックは自分の中だけでなく、他者の賛同や周りの
雰囲気など、外的要因もあると思います。ケンカを承認・正当化したり、
ケンカをけしかけたり、ケンカに助太刀をしたり。

 そしてこのフィードバックには、その思いを増幅させる正のフィード
バックと、その思いを減衰させる負のフィードバックがあると思います。
負のフィードバックとは、ケンカを認めなかったり、ケンカを止めたり、
ケンカに参加しなかったり、というところでしょうか。

 ケンカってのはやる時は興奮するモノですが、やった後はたいてい
損をした気分になります。実際に損をします。やらないに超した事は
ありません。でもやってしまう。そして後悔する。それは人の歴史と
でもいうかの様に。

 私とて感情の起伏を押さえる事のできない事がある一匹の猿ですが、
でも今回ばかりは負のフィードバックをかけたいと思っています。例え
それが大砲相手に弓矢で戦うが如く、全く役に立たなかったとしても。
一人の人間が起こす事で、一人の人間が責任を取れる事で、その相手を
見据えながらの戦いならば、まだ肯定できる部分もありますが、集団と
集団との、相手の見えない戦いには、戦いの本質を見出す事ができません。

とりあえず、ちょっと待って。何か他に良い手があるかもしれない。

−以上−




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