実家に戻ると、マイギターがゴミと一括りにされていた。 フライングVなのに。 価値は、分かる者にしか分からないものだと思いつつも 数年放置した自分も同罪と断罪する。 その数年で、弦は切れ、ボリュームつまみは紛失し、 自分の指もロクに動かず、指の動きも忘れていた。 時間がないとか余裕がないとかそういうのはただの言い訳でしかなくて、 時間は多分つれずれに流れていて、その中で自分は選択をしていて、 ギターを選ばなかっただけに過ぎず、 単なる超独善的な解釈、言い訳に過ぎない。 日々の努力が大切なのは、 それがフィジカルに有効なだけでなく、 その時間を捻出しようとする意志を保つためでもあると、納得した。 |
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