NALほど近況報告:1999年10月分
−1999年10月−
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『NALほど近況報告』
  1999年10月分です。

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  【更新状況】

《2002年3月8日(金)更新》
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《1999年10月23日(土)》
……前回更新
■■■1999年10月1日(金)■■■
 昨日、とんでもない事故が発生した。
 茨城県東部の東海村(水戸至近)にある民間の核燃料工場で「臨界」、つまり連続した 核分裂状態が発生した。封印された原子炉内でのみ許された状態が、である。
 しかもその原因が単純・初歩的な人為的ミス……という話はここまでにして、ちょっと 違った視点で。

 実は、父の高校時代の級友という方が東海村に居を構えている。しかも、問題が起きた 工場から1Kmほどしか離れていない場所に。
 報道で事故発生を知ってからそのことが気になっていたのだが、夜に入って電話連絡を 試みた父によると、まるで回線がつながらないという。何回かめでやっと通話できるよう になって、いくらか状況が分かった。
 とにかく、迅速で正確な情報が入らないらしい。
 しかも、中心点から半径10Km圏内は「屋内待機要請」が出ている。
 危機管理、という話になってくるので触れないが、確かに諸々の情報は少ないし、出て きたところでだいぶ時間は経ってしまう。テレビを見ても、専門家の分析ばかりで、実際 にどうすればよいのかという指針は伝わってこない。
 外に出ようにも、安全かどうか分からない以上 うっかりと行動できない。
 これでもし「集団避難」にでもなっていたら……おそらく相当の混乱が起きただろう。 幸い、事態は沈静化したようで、屋内待機要請も解除されたものの……。

 ちなみに、事故のあった東海村から西南西へ60Kmの地点に私は住んでいる。

■■■1999年10月8日(金)■■■
「兵士は戦場に還る」という喩えがある。殺伐とした戦場を忘れたくて、一度はその場を 離れるのだが、行った先で激しい不安や言いようのない恐怖に襲われる。あるいは逆に、 新天地の居心地があまりにも良すぎる、ということもあるだろう。だが、ある一点だけは 頭から離れることはない。
 ここは自分の居場所なのか。居ることが許される場所なのか。
 結局、あれほど嫌だった戦場に戻り「自分の居場所は、ここだ」という結論に達する、 それがこの喩えの言わんとしている内容である。

「新兵」だったかつての私が戦っていた「ある戦場」では、信頼すべき存在の「上官」が まるで信頼できず、日常的な激しい不信感と不安に苛まされていた。「戦闘中」、しかも 「激戦中」に女としけこんでいるような「上官」をどうして信頼できようか。
「戦友」はいたし、心強い「古参兵」もいたが、その不信はあまりに大きかった。
 やがて「上官」に対する不満が言動の端々に露呈してしまっていたのだろう、目を付け られるようになった。その手の反応に対し、恐ろしく敏感な相手だったのだ。陰に日向に 手を回され、次第に自軍内での扱われ方がぞんざいになった。あからさまな挑発、いびり、 追放工作まで行われた末、最後は部下に「銃口」をつきつけるという「上官」の裏切りで 「戦場」を後にせざるを得なかった。
 しかも、「銃口」をこちらに向けるだけでは飽き足らず、躊躇なく「発砲」したのだ。
 到底納得できないが黙って去ろう……と思っていたが、この「発砲」で私は怒りという 怒りを爆発させた。
「怨」という感情とはこういうものか、と実感した。
 その時期に抑えていた感情と、最終局面での決定的な裏切りが重なって、すでに不健全 だった精神は、徹底的に疲れ果ててしまった。ほとんど全壊した。

 回復には長い時間がかかった。忘れられない記憶が、脳裏に焼き付いてしまっていた。

 ひょんなことで赴いた「次の戦場」で、「任務」を果たすのと同時に己の再建と再発見 までできた。
 なにしろ、最終的にはそこに居るべきだ、と気づかされたのだ。これは大きかった。
 しかし、ここに至っても完全な回復、というわけには行かなかった。

 昔の「戦場」とは遠く離れた「別戦線」で「戦って」みないか、近づいてみないか、と いう打診があった。
 せっかく「次の戦場」に馴染んだばかりだが、再び「召集」がかかる気配は今のところ ない。もちろん迷いはあった。忘れられない記憶が頭をよぎる。
 しかし。
 まだ私の「戦争」は終わってはいない。必要とされるなら喜んで「戦場」に戻ろう、と 考えている。
 昨日、かつての「戦場」に一歩だけ近づいた。

■■■1999年10月12日(火)■■■
 めっきり秋づいてきた。空気が澄み、穏やかになった。心の平安を感じることが多い。
 このところほとんど詰め切って仕事をしていたため、外で体を動かすと実に爽やかだ。 つい先日も、小学校以来の友人が夫婦で犬の散歩に出かけたのを見て、慌てて後を追って 同行させてもらった。気の置けない(心を許すことができる)誰かと談笑しながら歩くと いうのは、心を穏やかにさせる。
 そういえば、御新造は間もなく出産予定と聞いた。確か、予定日は今日だった筈。
 散歩コースの途中には、夫婦の新居がある。産後、一段落ついたら引っ越すという。
 そうだ、いつの間にかそんな歳にもなったのだ、我々は。何も変わっていないようで、 何かは着実に変わっている。
 新居の向こうには広々とした田園風景が広がっている。20年以上、同じ風景を見てきた。
 他の犬たちも主人に連れられて散歩している。
 空が高い。風が爽やかだ。
 出かけるには遅くなったが、日が落ちるまでにはまだ時間がある。運動と買い物を兼ねて サイクリングにでも行ってみるとしよう。

■■■1999年10月22日(金)■■■
 前回、「めっきり秋づいて……」と書いたそばから暑い日が続き、ここ何日かでやっと 「秋」いう気候に落ち着いてきた。9月に入っても猛暑が続いたり、今年は妙な年だった。

 さて、採用試験の出願に出向いたり、秋の新刊の準備をしたりと、先週から今週は何か と忙しく過ごした。念願だった部屋のレイアウト替えにもやっと手をつけられたし、全体 が少しずつ「前進」しているように思える。

 ……簡単だが、今日はこれでおしまい。また次回。

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